第10回 あらべい会
      
明治記念大磯庭園見学
(文)小野山敦 (写真)小野山敦、石塚洋*
     
      
記念庭園入口にて。紅一点は浪本令夫人*

11月中旬になり急に10℃を下回る気温になり、今年は秋がない(厭きがこない)と言いながら冬の寒さを心配している。今回のあらべい会は幹事から、ご婦人同伴参加の許可が出たことで、浪本夫人が加わりそれでも5人と少し寂しい参加者数であったが、紅一点の浪本夫人の参加で華やいだ、楽しい会となった。
何せ女性の参加は三八会、あらべい会、合わせて110回のウオーキングの歴史の中で初めてのことであった。


1.集合
集合時間は大磯駅午前11時と比較的ゆっくりした遅い時間であったので、全員
15分くらい前には集合し、11時05分発の二宮駅南口行きバスを待った。

    
        
JR大磯駅に集合

バスの乗客は10人位でゆったり座って、目的地の旧古河庭園のある東海道松並木近くの、白岩大門バス停に向かった。
バスは大磯駅から二宮方向に10分ほど南下して、停留所から5分ほど歩いた東海道松並木に沿う様に「明治記念大磯邸園」がある。
公園に入る入口近くの道路標識が、日本橋から69kmであることを示しているのは、箱根駅伝の観点からも興味深い。
 
2020年11月に大隈重信別邸庭園と陸奥宗光別邸跡庭園が公開されたが、伊藤博文、西園寺公望邸園に関してはまだ整備中で、完成は2年くらい先らしい。
現在の邸園の入口までの東海道筋に沿って塀に囲われた広い範囲で建築、公園の整備が行われている様子が計画書の看板や作業者の動きなどで窺がえた。

2.明治記念大磯邸園
昭和初期に到る時代に建てられた和風、洋風の別荘建築が、白砂青松の景観を生かした庭園、大磯の浜辺や東海道の松並木等の歴史的景観が一体となって歴史遺産となっている。
邸宅から眺める庭園、万葉集にも読まれた大磯の浜、東海道沿いの松並木、伊藤博文が愛でた富士山など、大磯は宿場町であると同時に自然に恵まれた行楽地でもあり、明治以降は鉄道の発達と共に別荘地としても発展した。
やがて大磯には初代内閣総理大臣伊藤藤博文をはじめ、明治政界の要人たちが集まり、邸宅や別荘を築いたことから、「政界の奥座敷」と及ばれるようになり8人の内閣総理大臣経験者が居を構えた。
                                     東海道松並木にある白岩大門駅バス邸から東海道を北方向に5分ほど歩くが、その間は大磯庭園としてまだ未完成の部分の工事が進行中で、塀をめぐらした内部は見えないが、大磯庭園の完成図や工事計画、目標完成時期等の案内板が塀に掛かっており、実際塀の隙間から土木作業、建築作業の進み具合が覗き見出来る。
塀に沿って東海道を10分くらい歩くと、明治記念大磯邸園に到着する。

     
           完成予想図を説明する石塚さん

入場門を入ると、まだ庭園計画の半分の完成状態で開場しているため、未完成の庭園をいわば仮開場しているため、受け付けは小じんまりし、人手も少ないようで、パンフレットを渡す程度くらいであり、入場料は勿論無料である。
ただ、園内には庭園内案内人、邸宅内にも説明員がいて、邸宅、庭園内の説明や案内は十分にして貰えた。

     
       
大隈重信・陸奥宗光邸園入口にて

邸宅に到るまでに数十メータ歩くが、この時期邸内はドウダンツツジやイチョウなどが全盛で目を楽しませてくれた。

大隅重信邸園
最初に訪れたのは大隈重信邸と庭園であった。屋敷、庭を含めて8,000坪あるそうだ。隣の陸奥宗光邸園も同じ広さである。
勿論、松林を含めた海岸までの庭が大きな面積を占めている。
 
邸内に入ると、説明員から邸内全般の説明が説明版を使用して行われた。
特長は、お客の接待や交流に使用する庭に面した10畳と16畳の部屋は、日当りが良い南側にあり、幅1.5mほどの廊下が部屋を囲むように通り、椅子を置いて普段は日光浴や読者などに使っていたそうだ。
お客の数によっては10畳と16畳の部屋をぶち抜けにして対応できるようになっている。
この10畳あるいは16畳の部屋から東方向の海の方を眺めると近くに松林が広がり、その先100mくらいには太平洋の海が広がる風光明媚さが感じられるのは言うまでもない。

この部屋は「富士の間」と呼ばれ、社交好きの大隅はここで良く宴を開いたと言われている。

     
      
「富士の間」にて

静かさの中に、風の音や波の音さえ感じられるので、客を接待するには最高の部屋であったことが実感できる。
又、部屋の周りの廊下に置いた座椅子に座り読書をしたり、政策を練ったりする思考の場所であったと言われている。試しに座椅子に座って外の景色を眺めると、なぜか心静まる気がするのを不思議に感じた。

「富士の間」から中庭を挟んで東奥に「神代の間」がありここは書斎として使われていたそうだ。
尚、 洗面所、トイレなどはすでに年月を経たので、一部改造された状態で展示されているようでもある。

  
大隅邸の内部をひと回り終えて外に出て、庭を陸奥邸の方向に数十メートル歩くと
大きなバラ園に到る。
現在秋バラは全盛期を少し過ぎた時期の様で、赤、白、黄色のバラが満開を思わせるように咲き誇っていた。

   
   
さすが温暖の地大磯、12月でもバラが満開

大隅やそのお客が邸宅の部屋の中で、議論、会話等で疲れた心身を癒すためには絶好の場所で、目を楽しませ、精神を癒したことに違いない。
さらに庭を十数メートル歩くと大隅邸と同じような大きさ、造りの陸奥邸がある。

陸奥宗光邸園
陸奥宗光は1894年に大磯のこの地に土地を買い、2年後に別邸を構えている。しかし、この年に結核を患い大臣の職を辞してこの地で療養をしていたが、翌年他界している。
従って次男が引き継ぎその次男が古河財閥創始者の養子となったことで古河家に譲渡された。その後戦災で損傷を受けたため、1930年に建て替えられている。

       
             
陸奥宗光別邸にて*

陸奥時代から古河譲渡後は南側の二間続きの10畳・8畳の広い応接間は大隅邸とよく似ており、また応接間は三方が縁側になっていて、南側の海側は松林の日本庭園になっている。中廊下を進むと南側に浴室・洗面所がある。
浴室は大きな風呂おけと広い洗い場が目を引く。シャワーも取り付けられていたらしい。大広間があり、東に太平洋を望む松林の庭が広く広がっている造りは大隅邸園とよく似た構造である。

陸奥氏の邸宅は隣の大隅氏の邸宅と類似するのは、大広間が2部屋に分かれていて、客数に応じて一部屋に合併できることや、周囲に板の廊下がめぐらされ、椅子を置いて外の自然を楽しんでいたのであろうが、陸奥宗光は病気がちでこの家には2年弱しか住んでいなかったので、ほとんど手を加えて改造をした形跡はないが、客接待のためのグラス棚類、洗面所などはそれ相応の豪華さを備えていたようだ。
 
  
3.別邸を後に
公開されている2人の別邸庭園を後に、入口から外に出て長方形の邸園の南、東側外周を、まずは海に向かって歩き始めた。
食事処を経て大磯駅に向かうためである。

防風林の間の狭い道は公開中の邸園と現在工事中の邸園の間の狭い道で、100mくらい先の突当たりは交通量の激しい西相バイバスであり、大磯海岸である。
湾に沿って邸園の東側を、西相バイパスの大磯港出口近くで左折すると、鉄筋4階建の大磯町役場があり、その近くの大磯小学校の前あたりで12時30分を過ぎていたので、レストランで昼食をすることにした。

入ったのはインド・ネパール料理「ナマステ・カレーハウス」
ナンやご飯と一緒に食べる本格カレーを看板としていて、石塚さんが大磯で催しがあるときによく使う店だそうだ。

     
       
沢山あるランチメニュー、どれにしようか?

     
      
ナマステカレーハウスの内部

それらしい内装のお店の中を通って、案内されたのが、なんとお座敷!?
この店は一年ほど前讃岐うどんのお店の跡にオープン。団体のお客には、うどん店
時代の部屋をそのまま使っているのだそうだ。
     
      
       
畳に座布団。えっ、ここがカレーハウスと一寸戸惑う

各人、ナンとカレーやご飯とカレーを注文して乾杯用のビールを待った。

例によって、ビールで乾杯して食事に進むが、ナンは大きめでお変り可能、ご飯ももちろん可能。食通にはたまらないサービスだ。日本人でなくネパール人の経営だそうだ。

   
    
ビールと料理

   
    
ナンをいただく

サービスは良いし、カレーの味も少し甘みがあって申し分なかった。
念のためナンのお替りを注文したが、大きくて食べきれず持ち帰りができるとのことで持ち帰り、夕食にカレ―とともに食べた。今日は何(ナン)の日であった。

今日は日本の立憲政治の創政者と言われる大隅重信と陸奥宗光の別邸を見て回ったが、彼らは忙中閑の必要からかかる邸宅を立て、仕事と休息を楽しんでいたのだろうと感じた。
が現在の政治家は無駄に忙しいのではないだろうか。



食事後は10分ほど歩いて大磯駅で2時過ぎに解散となった。

本日の歩きは6,500歩でした。

                        〜おわり〜