能登・金沢旅行記 (第1日目)
野中 孝弘(文)
6月1日(水)
AM9:00 羽田空港 第2旅客ターミナル 2階出発ロビー 1番・柱時計の下に誰一人の遅刻者も無く全員集合しました。
予定されていたANAのストは解除され、障害の一つはクリア。
早朝4時頃のインターネットでの天気予報では2日目は40%、3日目は60%雨模様の由。
「それでなくとも金沢方面の天気は移ろい易く傘は必須である」との川崎もさんのアドヴァイスもあり、全員と思われる傘持参の集合も、天気は天の配剤でもあり雨の金沢もまた風流と考えれば旅行もまた楽しく、全然気にはなりません。
続々と参集するメンバー
早く来た人。そろそろ眠気が?
ANA747便(10:05発)能登空港行きの切符を東芝ツーリストのスタッフから受け取り、出発ゲートでのしばしの休憩の後、機上の人となりました。
飛行場にも朝のラッシュというのがあるのか、滑走路の待機ゾーンでは数機の飛行機が列を成していました。
そのおかげで10分の遅れの出発になりました。快晴でもあり、空からの景色もはっきりと見えます。
途中、飛行機の右側の窓からは浅間山の火口を見下ろすことが出来、遥か前方には雪をいただいた山々が美しく輝いていました。
左側の窓からは槍ゲ岳が見下ろせたそうです。
機上から浅間山を望む(覗く)
約1時間のフライトも瞬く間にすぎ、11時15分能登空港に到着し、川崎さんの迎えを受けました。
外にでるとあらかじめ予約されていた定期観光バス<のと恋路号>は既に待機中です。乗車手続きをすませ、観光ガイド資料を受け取り、乗車しました。バスは定期観光バスというとおりチャーター便とは違い、他の観光客と一緒の乗り合いバスです。しかも座席指定ではありません。三八会の14人は車内の一角をまとまって占拠することをせず、自分の好きな座席を自由に選んでばらばらに座りました。三八会のメンバーグループの和を重んじながらも、個人個人の自立意識もしっかり持っているのだと感心していました。
後でもっと感心したのは、4時間半に及ぶ観光中、運転手さんの示す出発時刻に誰一人遅れることが無かったことでした。自立だけではなく自律意識も立派なものだと感心し、自分ももっと厳しく自律できるようにがんばらなければと戒めたものです。
予期せぬ綺麗どころの歓迎
思ったより大きくて立派だった能登空港
観光バスの見学コースは次のとおりです。
現地幹事の川崎さんが練りに練り上げたルートで、初日から能登半島をほぼ一周するものです。
能登空港(11:20発)→→恋路海岸(見学)→→殊洲ビーチホテル(昼食)→→→
仁江塩田村(見学)→→曽々木海岸(車窓)→→上時国家(見学)→→千枚田(見学)
→→キリコ会館(見学)→→輪島温泉 八汐(16:05頃着)
能登空港を出発した観光バスは新緑のあすなろ(翌檜)の林を縫うように進行方向の右側(内浦)にある恋路海岸を目指して進みます。
黒瓦が美しい民家と斜面を彩るタニウツギの淡い薄紅色が車窓を過ぎてゆきます。
途中ガイドテープと運転手さん自らの説明があり、バス旅行にも彩を添えてくれます。注目を引いたキーワードは
□能登の「のと」の由来はアイヌ語であり、「つきでている」という意味がある。
□あて 当て字は木偏の右横に当を書くが勿論辞書には出てこない
石川県の県木。別名を「あすなろ」といい、明日に向かってすくすくと成長することを願ってつけられた名前だそうです。樹木の形状は杉とよく似ているが、葉っぱは厚く「うろこ」状になっているので見分けがつきます。料理の敷物にも使われます。
□能登の屋根瓦は真っ黒で光沢があり品格もある。
釉薬は九谷焼と同じであり、1200℃で30時間焼く。バスの通る道沿いにある民家はほとんど全てが黒の屋根瓦で、立派で豊かな生活をしているように見えた。
□能登半島はもぬけの殻
能登半島の住民はほとんどが高齢者であり、若者は能登半島以外で仕事をしている。
今は農閑期であり、人はゆっくり休養している由で、バスからの光景に人影がほとんど見えない。たまに人影に会っても老人ばかりであった。
以下観光バスの見学コースに従って書いてゆきます。
石川 恋路海岸
やがてバスは内浦の海岸に出ます。悲しい恋の物語が由来の恋路海岸を右に見ながら北上していくと海岸に軍艦が漂着しているように見える島(見附島という)が現れます。
昔、弘法大師が佐渡島から能登へ布教に渡った際に、「最初に目についた島」であることが名前の由来と伝えられているそうです。
20分程の休憩があり、海岸の景色をゆっくり堪能し、撮影にも励みました。磯のかおりも素晴らしい。海岸近くで過ごした私の少年時代の思い出がふっと頭をよぎります
珠洲ビーチホテル (昼食)
能登空港を出発してまもなくランチ予約表の回覧があり、それに従っての食事となった。ホテルとしてもオーダーが事前に分かっているので、料理の準備時間が短縮されており、待ち時間が少なく効率的。
食後は川崎さんの推薦によりホテルの最上階に登り、海岸の眺望を楽しみました。
川崎さんがあらかじめ下見をされた上での適切な場所に案内してくださるので、改めて感心し、感謝の念を強く持ちました。
「白砂青松」という言葉がありますが、まさにその通りの素晴らしい眺望でした。
しばらく見ているうちに、程々の大きさの船が日本海の外側に向かって次々と進んでいくのが見えました。川崎さんのカメラの望遠レンズで眺めてみると、船のデッキにぶら下がっているランプが見えます。イカ釣りの船で、これから北海道まで出かけるのだとのコメントが、川崎さんからありました。ここにも能登をもぬけの殻にする一因があるのだなと感じました。
能登半島は内浦と呼ばれる富山湾側と、外浦と呼ばれる日本海側とは全く様相が異なると言われています。内浦は比較的穏やかで波も静かですが、外浦側は荒々しく波も荒れることが多いのだそうです。しかし、今回の旅行は最後まで内浦も外浦も穏やかで、こんなことは珍しいのだそうでした。
仁江塩田村
バスは内浦にある珠洲ビーチホテルを後にして、外浦にある仁江塩田村に向かいました。
仁江塩田村にあって、昔ながらの製塩法として知られる「揚げ浜塩田」の総合資料館に着きました。
今回は見学だけですがここは塩を作る行程を実際に体験することが出来るのだそうです。
海岸から海水を桶に入れてくみ上げて塩田に撒き、しばらく放置して水分をある程度蒸発させた後、土ごと集めてきて塩田の真ん中にある濾過装置に入れて濾過させます。
濾過装置にはフィルタがあり、土は通り抜けないようになっているそうです。フィルタを潜り抜けて凝縮された塩分水は、別の小屋にある直径1.5メートル位の釜で茹で、水分を蒸発させて塩の出来上がりとなります。
塩田で作業をする人はすべて裸足で作業をしています。
裸足になる必然性は何かと質問してみましたが、今までずっとやっていたからだと言っていました。
何かを着けて作業をするよりも裸足の方が清潔さをキープできるのかなと想像しています。この場所が塩田に最適な理由は何ですかというもう一つの質問に対しては、この場所は海草のバランスの関係で味が良いのだとのことです。
出口のところで塩の試食と販売をしており、少し舌で味わってみたところ、まろやかな味加減がありました。
おみやげにこの塩を買われる方も多数です。
刺身定食組、ついでに一杯という魂胆
こちらはアジフライ定食
本家上時国家
バスは曽々木海岸を右に眺めながら次の見学地本家上時国家を目指します。
壇ノ浦の合戦後、能登に流され、生き延びた平時忠の子・時国が住みつき豪農となって以来、25代続いているそうです。現存の家屋は1808年(文化5)から28年かけて築かれた茅葺きの入母屋造で、金の格天井がある御前の間、平家の定紋である揚羽蝶が入った襖などが印象的でした。
平家の定紋、丸に揚羽蝶
白米の千枚田
曽々木海岸から本日の宿泊地の輪島に向かう途中の海岸に約1万2000平方mの斜面に、1000余枚の小さな水田が幾何学模様を描いて並んでいます。階段状に作られたこれらの水田は、棚田に機械が入らないため、農作業はすべて地元住民とボランティアによる手作業の由。
幾何学模様をきれいに撮ってみようと撮影を試みましたが、コントラストがうまく出ず、素人には巧く取れそうに無いことを痛感しました。
キリコ会館
切籠[きりこ]とは能登地方の祭りに使われる大きな切籠灯籠のことだそうです。神輿の前衛後衛のお供役で、夜道を照らす明かりの役目を果たすとのこと。
この会館には漆や金箔できれいに彩られた大小20数本のキリコが展示されています。
川崎さんも学生時代に担いだとの事。
お祭りの時には、若い女性に安産祈願のための色っぽいおまじないをかける風習があって、おまじないをかける男衆も胸をときめかしたとか。
ふらっと訪夢(プラットホーム)輪島駅
定期観光バス<のと恋路号>の終着駅である輪島駅に16時10分到着しました。運転をしながら親切に説明して下さった運転手さんにも感謝の意を表して降車です。
ホテル八汐からの迎えバスにより16時30分ホテル着
荷物を各自の部屋に置いた後、川崎さんの案内で近くの鴨が浦に散歩に出かけました。ホテルからは約10分のところにあり、小さなトンネルを抜けて行きます。
海岸の景色も美しく、これもサービス精神旺盛な川崎さんの事前サーベイのおかげと推察。脱帽。
記念写真を撮ったり、散策をしての帰路の途中、岩の上に干していた奇妙な海草を若い夫婦が車に取り入れているのを見つけました。ストローのような茎状になったものを直径15cm位のリング状にして干していたもので、聞くと「つるも」といって十分に洗って味噌汁に入れても旨いとか。能登と佐渡でのみ食べる習慣があり、朝市でも売られているとの由。
宴会前に前浜を散策
浜辺の散策の後、今日の疲れを温泉で癒し、いよいよ宴会の始まりです。
料理の目玉は、日本三大魚醤の一つと言われる「能登いしる」を使った「貝焼き」料理。
いしるを入れた貝殻に季節の魚や野菜を放りこみコトコト煮ながら、出来上がる間新鮮な海の幸の刺身をほおばる。
カニも付きました。オフシーズンで身の入りが悪いとは言うものの都会から出てきた者には美味美味!
宴もたけなわとなった頃、「そろそろ夕日撮影の時間だ!」の声あり。
この八汐の売り物の一つは眼前の袖ヶ浜に沈む夕日の風景。
しこたま飲んだ人もかなり多く、うまく撮影出来るのやら?
これが終わって完全に日が暮れたら、ぷらっと訪夢で御陣乗太鼓見物を行うことになっていて、宴会後もスケジュールが忙しい。
石川県無形文化財指定御陣乗太鼓(ごじんじょうだいこ)
ホテルでの食後、輪島駅で御陣乗太鼓の実演があるのを聞き、全員で見学に行くことになりました。
ホテルのマイクロバスで輪島駅に連れて行ってもらった。
御陣乗太鼓は市内の名舟町に古くから伝わる太鼓で、昭和38年に石川県文化財に指定された。400年の歴史を持つ。上杉謙信が能登に攻め入った時に、武器を持たない村民たちは古老の指図に従い、木の皮で不気味なお面をいろいろ作り、海草の髪をつけた出で立ちで、夜中に陣太鼓を打ち鳴らしながら奇襲をかけた。異様な怪物の夜襲に、越後勢は驚いて退散したという。
待つことしばし。8時30分頃から始まった。始まるや否や、太鼓をたたく演奏者の着けているお面に度肝を抜かれました。お面の顔がそれぞれ恐ろしくもあり、物悲しげであったり中には海草をお面の上にからませていたりして、まるでゆうれいも驚くのではないかと思わせる不気味な出で立ちです。
後で分かったことですが、下に記した由来のように、武器を持たぬものが不気味な変装で相手に夜襲をかけて、相手の恐怖心をどんどんエスカレートさせるような姿とリズムで追い討ちをかけていく。四谷怪談でのお岩の出てくる時にも、太鼓の伴奏が伴うが、戦場で熟睡中の闇夜にこのような形で夜襲をかけられたら、あわてふためき何の抵抗も出来ずに退散してしまうのではないか?と思われます。
今は演奏を聞いているという意識があるので恐怖心は無く、6人の演奏者が入れ替わり、立ち代り太鼓とバチの音をかき鳴らし一層恐怖心をかきたてようとするそのリズムと刺激をむしろ心地良く、胸の中に魂が揺り動かされ、波打つ波濤のようにいつまでも心に鳴り響いてくるような気分になりました。
注目! 山田さん撮影の動画が見られます→ここをクリック
第1日目 おわり
(写真)佐藤、石塚、川崎