三渓園 臨春閣を背にして
1月31日、山八会を兼ねて新年会を開くことになった。三渓園内を軽く散策した後、横浜中華街へ移動して
新年の宴をはるという魂胆である。
朝9時30分、横浜駅地下街のそごうデパート入口が集合場所だったが、両側から外の風が吹き込むため寒い。
厳寒の北海道からやって来たせいもあるが、「横浜は暖かい」という固定観念に甘えていたせいもあり、とにかく
寒く感ずる。たまらず、バスセンターのある2階へ移動すると、集合時間まで30分余りあるのに、小野山さんが
もう来ていた。2階から見下ろしていたら、三々五々皆が集まりはじめ、バスセンターの2番乗り場へと移動する。
三渓園行きのバスを待つ
三渓園
10時ちょっと過ぎに三渓園へ到着、直行の広瀬さんと合流する。
本日の参加は12名、入園料は10名以上は団体料金となるが、横浜市民は大幅割引きかつ65才以上の「老人割引き」も
併用できるというので、めいめい個人毎に入園することになる。200円のひとに対して、わざわざ北海道から出てきたのに700円は大いに差別感あり。でも、しょうがない。
バスに乗る前は寒く感じたが、日が高くなると快晴・無風、ブラブラ歩きには絶好の日和となった。
正門付近から三重の塔を望む、白煙は磯子火力発電所の水蒸気
大池のほとりの道を歩くと、大きな鯉がエサを期待し、口を開いて浮かび上がってくる。
「三渓園は何度も来たことがあるが、建物の中を見学したことがほとんどない」との声あり、それではと言うので、
先ずは三渓記念館に入ることになった。
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記念館へ向かう エサをねだる鯉たち
記念館は主としてこの三渓園の産みの親である原富太郎の経歴や画家として残した作品の展示が行われている。
絹の商売で成功し、巨万の富を築いた。三渓園の名前の由来は、画家としての雅号が「三渓」だったことに
由来するという。
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原富太郎(三渓)の経歴 三渓の作品を見る
記念館を出て、臨春閣へ向かう。臨春閣はかの秀吉が建てた聚楽第の遺構との売り込みに、原が購入し、ここに移築したものだが、実のところは違うらしい。しかし、17世紀に建てられたものをここに移築するというのは大富豪でなければ到底不可能であり、その財力には驚くほか無い。
まだ雪が残る臨春閣の庭
臨春閣をバックに記念写真を撮る。庭には1月22日に降った雪が残っており、四年ぶりの大雪とその後の
寒さが続いていることを示していた。
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聴秋閣(重要文化財) 竹林
屋根に雪の残る聴秋閣を右手に見ながら坂を下り、青竹もすがすがしい竹林の傍を通る。
ここで、階段を上がり三重の塔へ行く組と、そのまま大池を巡る組とに分かれる。私は躊躇なく階段を上がるのを
諦めた。
三渓園茶寮の前を通り、大池も記念館の対岸あたりにさしかかると、この辺は日当たりが良いせいか、紅白の梅が
満開に近い。椿や水仙も満開だ。
白梅の下で
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紅梅 椿
さんしゅゆの木も花芽をたくさんつけた枝を大きく青空に伸ばし、もうすぐ一斉に花を開く気配だ。
三渓園の定番スポットの一つといわれている観心橋から三重塔を望む写真を撮っていると、後ろから
三重塔まで行ってきた連中が追いついてきた。
「早かったね」「いや中華街へ行くバスに間に合わなくなるといけないから」
一同、正門へと歩く。というわけで、本日の三渓園散策は大池を一周するごく軽いものとなった。
観心橋から三重塔を望む
横浜中華街 熊猫飯店
三渓園正門前から市営バスに乗り、吉浜橋で降りる。横浜中華街西門から約100メートル手前だ。ここから歩いて
今日の新年会々場である熊猫飯店へと向かう。平日なのに、ランチタイムのせいもあるのだろうか、雑踏を
かき分けて進む感じだ。人混みで道に迷いそうになる。何回も行っている石塚さんの後ろをついて行って何とか到着。
すでに、二つのテーブルが用意されていて、ビールが運び込まれるなり、すぐに開宴!
2015年以来のパンダ飯店で
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小野山さんの乾杯の発声 深作さんのスピーチ
最初に挨拶の指名があったので、平均余命の話をする。曰く、
「我々の平均余命はあと10年。みんな元気だからあと10年生きられると思ったら大間違い。統計学的な平均余命の
定義はあと10年生きられるひとは50%、言い換えればあと10年の内に半分はお迎えがくる」と。
だから、残りの時間を1日1日大切に過ごそう。と言いたかったのだが、うまく伝わったかどうか。
我々の仲間は元気過ぎるぐらい元気だから、何となく「何を言ってるんだ」みたいな反発の雰囲気も感ずる。
でも、そろそろ我々の人生もそんな時期に差しかかっていることを意識した方が良いのではないかと。
続いて、「再加入?」のご挨拶ということで、大川さんへバトンタッチ。
「入ってはみたものの、三八会の皆さんが元気すぎてペースを合わせるのが大変だったので、少し脱けて
様子を見ていた。そろそろ頃合いかと思ってまた出てきました、、、」軽妙な名スピーチに笑いが起こる。
料理がどんどん運ばれてきて、ビールと紹興酒が皆さんの舌をさらに滑らかにするようだ。
広瀬さん「今年はエンディング・ノートを書く。故郷に残した不動産の相続をどうするか。要は、エンディング・
ノートといっても、残った者たちへの指示書かな。今年中には書き終えたい」この話も参考になります。
「太極拳を楽しんでいるが、ときどき一緒にやっているオバサン達をナンパしようかなんて密かに
思うと、胸がドキドキする」と石塚さん。(奥さんは知っているのか!?)などと野次が上がるが、いいね
この歳になっても心根が若いのは羨ましい限りだ。
この店の名物料理、辛い辛い麻婆豆腐が出てきた。辛さを「標準より抑えめ」にしたのだが、それでもかなり
辛い。「そういえば昔シンガポールで広瀬さんにご馳走になった四川料理を思い出したよ」などと言いながら
ぱくつく。さっぱりした豆菜の炒め物と交互に食べるとまさしく美味この上なし。
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パンダ飯店名物麻婆豆腐 豆菜炒め
とかなんとか、がやがややっているうちに、早くもお開きの時間が、、、
今日は山八会でもあるので、、何歩歩いたか、、、、
荒木田さんの万歩計では5,700歩、小生ので5,300歩。基準の10,000歩の半分だ。
外へ出ると、相変わらす多くの人出。関帝廟の脇を通り過ぎたところで、石川町駅へ向かう石塚、早川組と
別れる。
関帝廟
しばらく歩くと横浜スタジアムが見えてきた。ここで、地下鉄方面へ向かう小野さんなどのグループと別れ
独りになった。さてどうしようか?歩道橋を渡り、横浜スタジアムに上がる。そしてベンチで一休み。
スタジアムを半周して、関内駅へ。ここから川崎の定宿へ。
ホテルに着いて、万歩計を見ると、10、260歩。個人的には山八会基準をクリアー。
「まぁ、良しとしよう」という1日が終わった。