二宮・吾妻山公園散策記荒木田多穂 (写真)荒木田、石塚 



吾妻山公園
山八会(?)の企画第二弾として1月末の鎌倉アルプスに続き石塚幹事のホームグランドの二宮吾妻山公園散策を実行した。
一週間前に大雪があり心配されたが、前回と同じく天候に恵まれ、予定通り集合場所二宮駅を9時30分に出発。
メンバーは 小野山隊長以下石塚、早川、進藤、深作、浪本、阿川、杉岡、高橋、広瀬、荒木田の11名。
吾妻山公園は二宮駅北口より公園入口までは徒歩で約5分、そこから300段の階段を昇り、山道を登り、山頂(標高136.2メートル)の展望台までは約20分。
最初の難関、300段の階段も、久しぶりに参加した広瀬さんのインプラント治療を話題にしながら歩き難なく踏破。
心配した残雪もなかったが、浅間神社の山道辺りから群生している水仙が雪で倒れている株が多くちょっと残念。そこから管理人小屋、ウサギ小屋を経て9時50分頂上に到達。



一面芝生の広場の周辺は菜の花が満開だったがやはり雪の重みで折れたものが多く見られた。菜の花と丹沢をバックに全員で写真をとった。頂上の展望台は360度の大パノラマ。箱根、丹沢、富士山が、南には相模湾が広がっている。晴れた日には富士山がきれいに見えるはずだが、今日はあいにくの春霞で肉眼では微かに見える程度だった。石塚さんが毎週来ているという人の良い叔父さんから羊羹と交換(?)した写真を見るとまさにその通りである。ここで深作さんは写生をするということで一人残る。



   
石塚氏がもらった写真(作者の方、無断掲載をお許し下さい)


知足寺

深作さんに別れを告げ、10時20分に来た方向と反対側の山道を下り、30分ほどで知足寺に到着。寺の入り口で6体の水子地蔵が出迎えてくれ、山門をくぐると手入れの行き届いた見事な梅の木がある。

  

この寺には赤穂浪士(忠臣蔵)、鍵屋の辻(荒木又右エ門)とならび日本3大仇討と称される曽我兄弟の墓が在るといわれている。京都の浄土宗総本山知恩院の末寺で鎌倉時代、当地の領主であった二宮太郎朝忠の妻で曽我兄弟の姉の花月法尼が建てたということです。

 

  水子地蔵と曾我兄弟の墓

徳富蘇峰記念館
11時10分に知足寺から、今日の最終目的地の徳富蘇峰記念館に向かう。市街地を歩くこと約20分で到着。昭和32年に95歳で亡くなるまで、明治・大正・昭和にわたって言論や出版など広い分野で活躍した徳富蘇峰についてはいまさら説明を要しないが、小生は昨年の大河ドラマ『八重の桜』を見ていたせいか徳富猪 一郎(蘇峰)と弟の健次郎(徳富蘆花)とを混同していた節があった。

 1階の常設展では蘇峰の愛用品、著書、コレクション、企画展ではいろいろな著名人からの年賀状が展示されていた。2階の特別展では、書簡が持つ独特の“美”や“風合い”から「手紙はアートである」という観点から、書家をはじめ、政治家、軍人、実業家、芸術家、文筆家、ジャーナリズム関係者など、各界を代表する筆の達人たちからの書簡を展示。伊藤博文からラストエンペラー・愛新覚羅溥儀まで、能書家の手紙が展示されていたが、恥ずかしながら中曽根元首相以外は達筆すぎて判読できなかった。



     蘇峰が秘書の塩崎に送った揮毫

庭園は「かながわの花の名所100選」に選ばれた梅園で、シンボルの「臥竜の梅(2代目)」は丁度見ごろの時期であった。集合写真を撮り、庭園をゆっくり一巡りし記念館を後にした。




宝亭での昼食
時計も12時半を過ぎ、全員楽しみにしている昼食の時間。当初石塚さんはこの近辺には適当な店がないということでデニーズを予定していたが、早川さんからファミレスではお酒が飲めないと異議があり急遽変更。食事処を探しながら歩いていたら二宮駅前で「宝亭」という小さな食堂を見つけた。阿川さんが所用のため一足先に帰ったが、残ったメンバーで飲みながらゆっくり食事を摂った。この店の選択は正解だったようだ。
天候にも恵まれ、仲間と歩き、ダベリ、飲み充実した楽しい一日であった。次回はお花見を兼ねて集まることを約束して1時40分に解散。二宮駅出発から到着まで約4時間、12,000歩の散策であった。