安国論寺にて (**)
今年に入って初めての山八会ハイキングが平成28年1月22(金)に行なわれた。
JR鎌倉駅に石塚、阿川、荒木田、小野山、高橋、浪本、広瀬、深作に加え、特別参加の内藤さんの計9名が参加した。
予定のコースは古都鎌倉の寺院参拝と逗子海岸近辺の公園を散策するロマンに満ちたものである。
特に安国論寺では東芝の苦境を救って貰うべく、このお寺に眠る土光さんのお墓に参拝するのが目的の一つだ。
天気は良く晴れて鎌倉駅にはすでに大勢の生徒や観光客が集まっていた。
鎌倉駅を9時丁度に出発する。今回は寄る場所が盛りだくさんで、全行程が予想で10kmを超えると予想され、まずは全員が無事完走出来ることが目標だ。
予定の行程 @OpenStreetMap contributors
@安養院
浄土宗の寺。安養院は北条政子の法名である。
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安養院(*)
A安国論寺
安国論寺は日蓮宗の寺院で創建は建長5年(1253年)日連聖人が千葉の安房から鎌倉の松葉が谷に移って作った寺といわれています。ここにはかって東芝や政府の臨調で改革を断行し、荒法師といわれた土光さんが眠っておられる。日蓮宗の熱心な信者だったことからこの異名がついたと言われている。
土光さんのお墓は本堂のすぐ右隣にあるが、個人ではなく土光家一族の墓に合葬されている。
皆で土光さんのお墓に線香を手向け、“東芝の苦境が乗り切れるように”と強くお願いをする。
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土光家の墓前にて(**) 灯籠と紅梅(**)
昨年9月に行われた東芝の臨時株主総会で「役員全員が土光さんの墓前で土下座しろ」との声が上がったと報じられたことが思い出された。
境内には花木も多くあるが既に紅梅やつばきが咲いていた。
急な階段がある山道を登って展望台に行った。途中日蓮上人がこの中で「立正安国論」を書いたといわれる
岩窟(南面窟)が保存されていた。
B長勝寺
日蓮宗の寺院。本堂の屋根の金色の飾りが美しい。高村光雲作の大きな日蓮聖人の像がある。
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長勝寺の門(**) 日蓮聖人の像(*)
C光明寺
光明寺は浄土宗 大本山で1243年建立。
この山門は日本風の一階部分と中国風の二階部分を併せ持っていて「五間三戸二階二重門」と言われている。
本堂の左右には見事な庭園が配されています。
右側には浄土式枯山水があり8個の秩父青石と石を取り巻く白砂が美しい。
左側には小堀遠州が造った浄土式庭園がある。書院を結ぶ回廊からは枯れた茎が見え根を休めていた。
光明寺の山門(**)
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光明寺の庭園(*)
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内藤さんと内藤家の墓所(**)
この寺には江戸時代の大名内藤家の墓所がある。同性の内藤さんは早速光明寺に経緯を問い合わせところ丁寧な返事が返ってきた。
内藤家墓所につきまして、由来をお尋ね頂きましたのでお答えさせていただきます。
内藤家五代目であり、磐城平藩(現在の福島県いわき市)第二代七万石藩主であった内藤忠興公は、
寛文十年(一六七〇)、江戸深川の靈巖寺にあった先祖の墓所を光明寺に移し、寺領五十石を寄進し
光明寺の檀家となりました。その経緯については、はっきりとはわかっておりません。
忠興公長子であり家督を継いだのは、内藤義泰公です。忠興公の没するとその菩提を弔うために、百五十石を
加増し二百石の寺領を寄進しました。義泰公は、「文学大名・風流大名」とも言われ、東北の地誌、歴史書の
収集や俳書、俳文、和歌の書も集める傍ら、「風虎」と号して俳句を楽しみ、松尾芭蕉とも交流があったと言われて
います。
光明寺の今でも残る「當麻曼陀羅縁起絵巻」(国宝)は、義泰公から寄進されたものです。
内藤家は、永享四年(一七四七)、内藤家九代正樹公の時に磐城平藩から日向国延岡(現在の宮崎県延岡市)へ
転封となりましたが、延岡に移ったあとも歴代の藩主は光明寺に墓所があり、光明寺との深い関係がうかがえます。
いわき市と延岡市は現在も兄弟都市としての交流が続いています。毎年光明寺で行われる」「内藤家供養会」には
いわき市より奉仕団が参拝に訪れ朝早くから内藤家墓所を清掃して頂いています。
日中には、大殿にて供養法会を行い、いわき「じゃんがらおどり」、延岡「ばんばおどり」が奉納され、にぎやかに
勤められます。
本年は6月28日(土)十二時より行われる予定です。
ちなみに内藤さんは大名内藤家には縁もゆかりもないとのこと。
裏山の「天照山」は光明寺の巨大な山門の屋根越しに鎌倉の海はもとより江の島、富士山が見渡せる絶景ポイントで「かながわ景勝50選」の一つである。しばし、この素晴らしい景色を楽しんだ。
光明寺裏山からの絶景(**)
D材木座海岸
石塚さんが事前に詳細に調べてくれた地図を頼りに住宅街を進むと突然海に出た。これが材木座海岸であった。
美しい砂浜で鎌倉の山々をバックに集合写真をパチリ。
材木座海岸にて(**)
海の中に土を盛った平坦な嶋が見えた。これぞ和賀江嶋である。貞永元年(1232年)に築造されたわが国に現存する最古の人工島の築港遺跡である。
和賀江嶋(*)
E逗子マリーナと小坪漁港
海岸伝いに右が材木座、左に小坪の標識がある道、すなわち鎌倉市と逗子市の境界線を進むと急に開けて瀟洒なマンションが建つ場所に出た。ヨットハーバーを中心に高級マンション、プール、レストランなどが並ぶ逗子マリーナである。逗子マリーナ内を少しあるくと小坪漁港に着いた。
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逗子マリーナと小坪漁港(*)
昼食の場は小坪漁港 「めしやっちゃん」で食べた。サーファー仲間がが良く集まる地元の人にも人気の食堂だそうです。逗子マリーナ内には高級レストランがあるが、「めしやっちゃん」は1,000円でボリュウムたっぷりの飯が食えるのが良いところだそうです。 各自が好みのメニューを注文をした。新鮮な魚料理が美味しかった。
昼食風景(*)
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高橋さんの昼食(左)と石塚さんの昼食(右) それぞれ一杯がついているところがミソ (**)
G天照大神社
お腹も一杯になり午後のスタートとなった。
石塚さんのいとこの佐藤さんがスタンバイしていてくれた。佐藤さんは地元小坪にお住いとか。安心してガイドして貰えた。天照大神社の170段の階段を登った。今回のコースで一番の難所であったが全員足取り軽く登り切った。後期高齢者だが齢を感じさせない歩き振りでお見事とは、かく言う自分も入っているから自画自賛か?
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ガイドをお願いした佐藤さん(*) 今回の最大の難所(**)
H大崎公園
天照大神社の右手にある参道を降りてゆくと住宅地に出た。ここから坂を上ると小高い丘の上が公園になっている。桜の木が多くお花見の名所だという(絵を描きにまた来たいものだ)
上空をトンビが飛び回ってのどかであった。
大崎公園から眼下に望む逗子マリーナの眺望は素晴らしい。
2020年東京オリンピックで江ノ島が競技会場になるのに関連して、高層ホテルの建設や小坪漁港の改修などこの周辺の開発計画が議論されているとか。
大崎公園から逗子マリーナを望む(**)
I披露山庭園住宅〜披露山公園
途中豪華な住宅街に出た。「披露山庭園住宅」である。日本版ビバリーヒルズともよばれ、日本一豪華な住宅地で、電線は全て地下埋設されていて電信柱が全く見当たらない。
みのもんたやユーミンこと松任谷由実など芸能人、有名人の豪邸があるらしい。
公園の中には、大きな日本猿のゲージがあり多数の猿が毛繕いしたりしてのんびり過ごしていた。
ここからの眺望は大崎公園に勝るとも劣らない。江の島や葉山マリーナなどが望める。ここもかながわ景勝50選の一つだそうだ。
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披露山庭園住宅と披露山公園からの眺望(*)
J浪子不動
公園の中に「浪子不動ハイキングコース」の入り口があり、これを下ると逗子海岸に着くという。
山道を下ったが木や野草に囲まれ実に爽やかな歩道である。
林を抜け切ると突然海が見えてきて、石碑がある。石碑には『浪子不動』とあった。
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浪子不動ハイキングコース(**) 浪子不動の石碑(*)
ここは徳富蘆花の人気小説『不如帰』が執筆された場所だそうだ。
国道134号線を挟んで海であるが「不如帰」の石碑が遠くに見えた。この石碑は海中に建てられているが、干潮時には海岸から歩いて行けるという。
ここには「さくら貝の歌」の歌碑が建てられている。昭和24年NHKのラジオ歌謡として作られ、大ヒットした名曲である。
逗子の市街地に入り東芝の元保養所「清和荘」の場所はどの辺であったかと昔を思いだしながら逗子駅に向かった。
K逗子駅で打ち上げ
逗子駅の近くに着いた。打上げをすべく佐藤さんのご推奨でケーキ屋「珠家」に入った。
席は満席に近かったが(ほとんどが女性)奥の席が空いていたのでそこに座った。
この店は石原慎太郎、裕次郎家ご用達の店でいつも満員だそうです。
佐藤さんのお話しによると石原家のメンバーが来たら使うテーブルだそうです。道理で誰も座っていなかった。三八会の打ち上げで「ケーキ屋」は初めてだと幹事石塚さんが言っていた。
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珠屋(*) 美味しかったケーキ(**)
あとがき
無事に予定コースを歩き切りみんなが満足してJR、京急の電車に乗って家路についた。
今回のコースは複雑なコースでしたが石塚さんが佐藤さんと一緒に丁寧に下見をしてくれていたお陰だと思う。
道に迷って時間的ロスをすることもなかったことが楽しく過ごせたからと思います。感謝!!!
内藤さんの特別参加もよかった!!