


鎌倉駅交番前に集結した面々
日 時:令和2年1月31日(金)
コース:鎌倉駅~鶴岡八幡宮~荏柄天神~宝戒寺~鎌倉幕府終焉の地~仕立屋
参加者:阿川・荒木田・石塚・小野・小野山・柏木・進藤・高橋・浪本・早川・
広瀬・深作・大川(記)の13名
令和2年幕開けの山八会は記念すべき第50回となりました。よくも永く続いているものです。
今回は山八会のホームグランドともいえる鎌倉散策です。
午前10時前にはいつもの鎌倉駅交番前に全員集合した。折しも大騒ぎの中国発コロナウイルスの事もあり、中国人観光客の多い鎌倉へ行くのだからマスク位着用しようとの事前連絡もあり、珍しい光景となった。総勢13名、先ずは鶴岡八幡宮に参拝するべく出発。

生憎の雨となる 雨宿り中
ところが、若宮大路を進む内に雨が降り始めた。
本日の天気予報には雨はなかったのに、誰が悪いのだと恨み節も(後で聞いたら雨が降ったのは湘南の海ぎわのごく一部というゲリラ雨だった)
傘の用意があるのは高橋さんだけ。とりあえず雨宿りできる場所へ急ぐ。
30分程の雨宿りで小降りとなったので参拝へ出発。

厄払いのお神楽 雨中のお札等お焚きあげ
鶴岡八幡宮参拝後、交通整理のおじさんに混雑もしていないのに「参拝の邪魔になるからやめてくれ」と言われながら入口で記念撮影。それにしても鎌倉といえば、人混み・混雑が当たり前であったが、何という人の少なさか。目立つのは修学旅行の子供達だけ。
今回のウイルス騒ぎで中国人はおろか、一般の観光客にも人混みが敬遠されているようだ。

入り口での記念撮影(確かに他の人の邪魔になる!)
ここで早くもトイレを探すメンバーも。水を見るとトイレに行きたくなるというメンバーも居て、山八会の名所めぐりもだんだんトイレめぐりの様相を帯びてくるように感じる。こればかりは年相応だから当たり前か。
古都鎌倉は道端に色々なモニュメントや遺跡の説明看板があり、いくつかを「つまみ見」しながら次の目的地の荏柄天神へ向かう。

荏柄天神由来

修学旅行生に頼んで、天神様の前で全員撮影
垂乳根も見えるイチョウの巨木があった。

いちょうの巨木
樹齢の看板を探すも見つからず、樹齢不明。

菅公碑を抱く蝋梅(小さすぎるか) 左の写真を拡大
裏路地をくねくね曲がって次なる目的地宝戒寺を目指す。よくもまあこんな複雑な裏道をガイドできるものだと石塚さんの名幹事ぶりに驚嘆。

宝戒寺由来
石塚幹事が調べた「鎌倉幕府 最後の日」
鎌倉幕府は後年執権北条氏の掌中にあったが、北条氏の栄華も終焉を迎える事になった。時は元弘3年(西暦1333年)5月22日、新田義貞軍は鎌倉市街に乱入し、幕府軍を追い詰めた。鎌倉幕府の最高権力者は北条高時である。高時の邸宅は現在の宝戒寺が建つ地にあり、その東に東勝寺がある。この地で死んだ者は高時以下870余人と「太平記」は記す。その上に「腹切りやぐら」がある。やぐらの中には石塔が一基あり高時の墓として祀られている。

宝戒寺入口

山茶花
咲き誇る白梅

椿
萩寺とも呼ばれる宝戒寺の冬の花々を愛でて、東勝寺跡経由「腹切りやぐら」へ向かう。

滑川の橋上で記念撮影
なにやら一人人数が足りない。どうやら高橋さんが途中ではぐれて、仕方なく昼食会場の仕立屋へ向かったらしい。
鎌倉随一といわれる滑川。名の通りツルリと滑りそうな川底に見える。 雨もすっかり上がり青空も出てきた。

滑川の流れ

腹切りやぐら前で

やぐら内の石塔

台風被害でハイキングコースは閉鎖中
鎌倉歩きを堪能して、小町通にある昼食会場、仕立屋小町店に向かう。
小町通入り口の仕立屋鎌倉店で、先行した高橋さんと合流、昼食会開始。
いつもながらに最高においしい一口目の生ビールを味わう。

小野山隊長の音頭で乾杯

仕立屋で幸せ一杯の乾杯が続く

シラスたっぷり刺身定食
今回の山八会は思いの他人が少なく、どこもゆったりとしているのが印象的であった。仕立屋からも時節柄我々の会食が歓迎された由。
ここまでの歩数は平均12,000歩まで行った。途中迂回(ショートカット?)の高橋さんは8,500歩であった。
今回のウイルス騒ぎの影響の大きさに驚くと共に、人→人への感染や発症しない保菌者が多いとか発症程度にばらつきが多いとかの話を聞いて、数百万年かけて進化してきた人間の体の免疫力の偉大さに改めて気付かされます。
普段から疲労を残さず、ストレスをためず、ゆったりと暮らして免疫力を最高に保ちたいものです。最も山八会のメンバーは何の心配もいらないようですが。
番外

進藤さんお勧めのコーヒー店で二次会

ケーキを前に少年に還った二人 満足!満足!!
-おしまい-