大磯 旧吉田茂邸を訪ねて
                            (文)佐藤幹郎 (写真)石塚洋、佐藤幹郎


  大磯 旧吉田茂邸 兜門前にて

出発
6月21日三八会の例会の帰途、石塚さんの住む町大磯に立ち寄り、旧吉田茂邸を見ようと言うことになった。

その日の朝は早く起き出し、6時を待って風呂場へ。昨夜の宴の二日酔いをリセットしようとの魂胆。
幸いここのお湯は余り熱くない。さっと短時間つかった後、部屋に戻り水を沢山飲む。これで準備オーケー。
石塚さん、早川さんは各部屋を回り集金、精算の準備に忙しそう。

7時半朝食。ビュッフェ方式で選ぶのが大変なほど豊富な料理が並ぶ。ゆっくりとみんなと話しながら、美味しい朝食を
いただく。至福のひとときである。
8時20分お世話になった芝翠荘西本マネージャーにお礼を言いつつ記念写真を撮り玄関を出る。


 東芝芝翠荘前で(写真をクリックで拡大)        玄関前の坂を下る(石塚さん撮影)

昨日あえぎあえぎ上った坂がなんと楽ちんなこと。
進藤さんが昨夜好んで見ていると言っていたNHK BSの番組「にっぽん縦断こころ旅」を思い出した。
自転車で旅する火野正平さんがキツイ上り坂でハァハァいったあと、坂を下るときに「人生下り坂最高!」と
叫ぶシーンが蘇る。 けだし名言である。

再び箱根登山鉄道
足どりも軽く強羅駅に到着。大磯に向け箱根登山電車に乗り込む。
我々が乗り込んだのは、今月から営業運転が始まったばかりの3003形アレグラ号。箱根の景観を堪能できるように
窓を大型化した25年ぶりの最新鋭車両だという。
昨日は引退寸前の電車に乗り、今日は最新鋭の車両に乗れたのだ。何という幸運!


 アレグラ号に乗り込む面々(石塚さん撮影)                 車輌番号3003アレグラ号

   
    昨日乗った107号とは大違いの窓が大きくモダンな車内

まだ朝早くそれに下り電車のせいか、ほとんどわれわれの貸し切り状態である。
大きな窓から外のアジサイをながめるもの、子供のように運転席をのぞきこむもの、雑談をするもの、
みんなそれぞれの時間を楽しんでいる。


 車窓からアジサイを眺める                運転席を覗く

三つのスイッチバックを過ぎて塔の沢駅にさしかかる。車窓から火伏観音と深沢銭洗弁財天の境内が見えた。
火伏観音は箱根に住む人の火を守るとの信仰を集め、深沢銭洗弁財天は「弁天癒水」と呼ばれる境内の水でお金を洗うと
何倍にも増えて金運向上のご利益があるという。箱根の静かな山中に佇むパワースポットとして、人気があるらしい。


 火伏観音 観音様は見えないが本堂の赤提灯が見えた    深沢銭洗弁財天

大磯駅
昨日から二日間にわたり箱根登山鉄道を楽しんだ後、小田原経由大磯駅に着く。所用のある深作さんとはここでお別れ。
大磯駅の駅舎には歌川(安藤)広重が描いた「東海道五十三次之内 大礒 虎ヶ雨」が飾られていた。
大磯は五十三次の8番目の宿場であった。


 大磯駅                      安藤広重の東海道五十三次 大磯

駅の改札口付近にはツバメがいくつもの巣を作っていた。


 ツバメの親鳥                        餌を待つ雛鳥たち



 旧木下家別邸                        澤田美喜記念館へ入る

駅から出たところで、所用で来られた石塚さんの奥様とパッタリ出逢い、短い挨拶を交わす。
そして、駅の真ん前にある旧木下家別邸を見る。大正元年に建てられた我が国初の2×4工法による瀟洒な洋館である。
国登録有形文化財に登録されているという。拙宅も2×4工法で建てたので興味が湧いた。
現在は大磯迎賓館という名の高級イタリア料理店兼結婚式場として営業中という。

続いて、すぐ近くにある澤田美喜記念館に入る。澤田さんは戦後アメリカ占領軍兵士と日本人女性との間に生まれた
混血孤児の救済と養育のためにエリザベス・サンダースホームを設立した。ホームと同じ敷地にノアの箱舟を模した
舟のような形をした記念館が建っていた。石塚さんの説明によると、現在エリザベス・サンダースホームは親から離さ
れた虐待児童を受け入れているという。



 澤田美喜のレリーフ                   入り口の門封鎖のため退出する

ここで一寸した事件が。石塚さんの説明を聞いていたわれわれに職員が近づいて来て、「門を閉めますので、、、」
と通告された。
数日前、実刑判決を受け執行猶予中だった男が収監に来た検察官、警察官を振り切って逃げ、現在も逃走中とか。
刃物を持っている可能性もありとかで、神奈川県の小中学校で休校になっているところもあるとかで、ここも
門を閉めますとのこと。 すぐ出て行けとは言わぬが、長居は出来そうもない。
「バスの時間もあるから」といって石塚さんは説明を途中で切り上げ、駅前のバス停に移動する。

旧吉田茂邸
バスで旧吉田邸に向かい、11時少し前に到着。この辺一帯が県立城山公園になっていて、その中に旧吉田邸があった。


 旧吉田邸に入る                 バラ園を見る

最初にバラ園に入る。吉田はこよなくバラを愛し、存命中はもっと大きなバラ園だったが、後にかなりの面積が
賓客訪問の折の駐車場に変わってしまったという。惜しいことだ。

「疲れた~」との声が上がり、管理休憩棟というのに入って休憩することになった。
椅子に座って雑談しながら休んでいると、小野さんが大きな沢ガニを見つけた。
やっぱりここは沢ガニが住むような恵まれた環境なんだと感心する。しかし、小野さんは「こんな所にいたら死んじゃう」
といって、外に逃がしてやった。誰かが「小野さんいいことがあるかも知れないよ」と言うと、すかさず「カニの恩返し
っていうのは聞いたことないな」と合いの手が入る。


 管理休憩棟の前で                      中で見つけた沢ガニ

しばし休憩の後、兜門(内門)をくぐり、いよいよ邸内敷地へと入る。まずは庭園を見学。池を中心とした回遊式の典型的な日本庭園で吉田茂は四季折々の花が咲くこの庭園を散歩することをこよなく愛したという。

     
       日本庭園

庭には季節の花である花菖蒲が咲き始めていた。つづいて、庭のほとりにある七賢堂を見る。


 花菖蒲                         七賢堂を見る


 佐藤栄作の筆になる「七賢堂」          七賢堂の沿革

つぎは七賢堂から歩を進め、敷地の高台に立つ吉田茂銅像を見る。
  
  
   吉田茂銅像の前で

銅像は昭和58年に「吉田茂・澤田美喜両先生顕彰設立委員会」によって建立され、銅像の顔は日米講話条約を締結した
サンフランシスコとワシントンの方向を臨んでいるという。
ここからは眺望が開けていて、天気が良ければ富士山、伊豆半島、相模湾、房総半島が一望出来るとか。

外回りの見学を終え、いよいよ玄関から邸内へと入る。2009年に火災で焼失し、2017年再建され公開がスタートしたばかりなのでピカピカの新築である。

まずは食堂(ローズルーム)へ。海外で要人から自宅へ招かれ心の籠もった接待を受けた経験から、吉田もそれを実行しようと作ったといわれている。隣接する応接間(楓の間)と同じく、吉田自慢の美しい日本庭園が見えるように配慮されている。
この食堂の飾り棚には父の故郷である高知県の酒「司牡丹」があった。吉田が愛した酒だという。

   
    ローズルーム

「楓の間」の飾り窓には、アメリカのダレス国務長官、アデナウアー西独首相などの写真が飾られていた。
マッカーサーや蒋介石もあった。

楓の間から二階へ上がることになったが、階段がキツそう。女性の係員の案内で、小生だけ一階奥にあるエレベータまで案内してもらい二階へ上がる。

まずは、書斎をみる。ここは身内しか入れない私的な部屋だったという。本棚の1番下にはには首相官邸との直通黒電話が
置かれていた。


 書斎                      書斎の南縁からの景色

上の写真は書斎からの眺めである。吉田は考えに耽りながら、こんな風景を見ていたのであろうか。
書斎の隣は浴室になっていて珍しい舟の形をした浴槽があった。

さらに二階の客間「金の間」を見る。
床の間には伊藤博文自作の漢詩が掛けられていた。

 金の間と床の間に掛けられた伊藤博文の漢詩

日露戦争の頃、満州軍総司令官だった大山巌に激励のために自ら筆を執り書いたものという。
興味があったが、とても読めないと嘆いたら、石塚さんが「訓読」と「注釈」を書いたプリントを持ってきてくれた。

大地球中東海の隈 三千余際帝閫開く
  (大いなる地球上の東海のすみで、三千年余り続く帝の門戸が開かれた)


から始まるこの詩は、今まで内に力を貯めてきた日本が列強に伍して今こそ外に出て国の栄光を輝かせる時だ。
遠征の勝利により東洋の平和は始まるのだとも読める。
大東亜戦争の根源ともなる考えであり、そのことが最終的にはアメリカとの開戦そして敗戦にとなり、講和条約を
結んで戦争の後始末をしたのが吉田茂であったことを考えると、人の一生とは皮肉なものだと考えた。

隣の部屋は吉田が寝室に使っていた「銀の間」である。小さなベッドが置かれ、臨終もこのベッドで迎えたらしい。
吉田の身長はいまの日本人女性並で、男としては非常に小柄だった。一階にあった足袋のレプリカを見たが、非常に
小さかった。


 銀の間のベッド                   足袋のレプリカ

かくして、吉田邸の見学はちょうど12時頃に終わり、昼食場所へ向かうことになった。

楽市楽座で昼食
吉田邸を後に、石塚さんの先導で昼食場所の楽市楽座に向かう。「ここから500メートル、歩いてすぐ」との言葉を
信じて進むもなかなか着かない。時々休んでは皆の後を必死で追うも、だんだん離されてゆく。今日はそんなに歩いた
記憶はないのだが、大磯駅前や吉田邸の中を結構歩き回っているのだ。
ゆるい坂道で「もうだめ、限界」を連呼していると、「ここだよ」やっとたどり着いた居酒屋「楽市楽座」
居酒屋というより小料理屋的な風格のあるお店だ。
   
    
      昼食場所の楽市楽座

地元石塚さん行きつけのお店らしく、手際よく料理と生ビールが運ばれてきた。
何はともあれ、早速に乾杯!乾杯!となる。
   
    
      何のためにかわからぬがとにかく乾杯!乾杯!

しばらくガヤガヤと酒が進む中で、茶碗蒸しが運ばれてきた。
「美味しい、美味しい」と非常に好評だ。そのうちに茶碗蒸しに入っていた銀杏がとくに美味しかったということから、
子供の時に銀杏の実を拾ったことや、その種を取り出して銀杏にする方法などの話で盛り上がった。
その時、一寸した事件(?)が起きた。
広瀬さん「おれの茶碗蒸しには銀杏が入っていなかった」誰かが「食べたのをもう忘れたんじゃないの?」
「そんなことない!入ってなかった」と一杯入っているせいか、少し色をなす広瀬さん。


 美味しかった銀杏入り茶碗蒸し            後付け銀杏を一粒食べる広瀬さん

石塚さんがお店にクレームをつけると、しばらくして可愛い女店員が小皿にたった一粒の銀杏を載せて登場する。
これには広瀬さんも文句を言えず、全員注視の中で楊枝に刺したたった一粒の銀杏を味わい大笑いとなる。

それからも、「昼間からこんな大丈夫なの?」と思うほどどんどん料理が出てきて、酒も進んだ。


 天ぷらで酒が進む                   締めのお寿司

「今日は歩かされた。吉田邸からここまで500メートルの距離じゃないよ。いまスマホで確認したら1.2kmあった。
最初からそれが分かっていたらタクシー呼んだのに」
と石塚さんに苦言を言うと、
「たまには歩かないと。帰りは店の真ん前がバス停だから心配ないよ」とたしなめられた。
その後の石塚さんの報告によれば、この日の歩数は7,261歩、小生のガラケー歩数計では7,701歩で、最近の
山八会相当であった。

大磯町のホームページによれば、大磯は「明治政界の奥座敷」だそうだ。大磯にはなんと8人もの宰相が別荘もしくは
邸宅を建て、その後も多くの実業家や文化人が住んだ。史跡やお寺も多い。
いつしか大磯を再訪して、その奥深さにふれ、かつうまい酒を飲みたいものだなどとほろ酔い気分で駅までのバスに
乗り込んだ。




(付)会計報告 (石塚さん)

 日付  項目  収入(円)  支出(円)  残金(円)
6月20日  卒寿の集い会費  10,000円x12
=120,000
   
同上  つまみ    1,425   
同上  東芝芝翠荘宴会費用   106,290
6月21日 旧吉田邸見学料    5,500  
同上    打ち上げ 大磯 楽市楽座 会費 2,000x11
=22.000 
 
同上 同上費用      40,994  
  (a)142,000  (b)154,209 (a)-(b)=
  ▲12,209(c)

  (d)2019年6月19日現在 三八会 残金 18,622円  総合計 (d)-(c)=6,453円 6月21日以降に繰り越し