新林公園から江ノ島腰越 紀行文

                      (文と写真) 小野智史



 新林公園 小池家母屋の前で

2017年1月13日(金)は、丁酉の新年を迎えた三八会メンバーによる第22回山八会。
折りしも、高齢者の定義が65歳⇒75歳に変更になるとのTV、新聞の報道があったが、それはとっくにクリヤしてなお、身体も口も元気な面々の賑やかなこと。新しい定義も当てはまりそうもない。
JR藤沢駅9:00に集合した12名一行の元気な紀行文である。

今日のコースは
(JR藤沢駅南口を9:00に出発)
  新林公園
  馬喰橋
  江ノ島弁財天道標
  密蔵寺
  常立寺(元使の眠る寺)
  龍口寺(龍ノ口刑場、日蓮法難の場)
(昼飯)
  小動神社(新田義貞戦勝祈願の場)

の順路である。快晴の絶好の天気にも恵まれ、地元鵠沼の住人である柏木「臨時隊長」の案内での賑やかなスタートとなった。

新林公園まで
この藤沢界隈は、歴史史跡の多いことで有名で、最初の新林(しんばやし)公園までの道中にも多数の史跡が点在しており、江ノ島、鎌倉までの旧街道のウォーキング(漫ろ歩き)は、それらとの楽しい出逢いの歩きでもあった。

代表的なのが江の島弁財天道標えのしまべんざいてんどうひょう)である。この道標は、管を用いて鍼をさす管鍼術の考案者で、江の島弁財天を厚く信仰していたといわれる杉山検校(杉山和一、1610~1694)が、江島神社に参詣する人々が道に迷うことのないようにと寄進したものと伝えられ、当時は48基されたが、市内に現存しているのは、12基で市指定文化財道標に指定されている。

弁財天を表す梵字の下に「ゑのしま道」、右側面に「一切衆生」左側面に「二世安楽」と書かれており、江の島弁財天への道を辿る全ての人の現世・来世での安穏・極楽への願いが込められているとのこと。

 

   
   最初に出会った公園の隅にあった道標、見過ごしてしまうほどひっそりと佇んで・・・

今回は数箇所の道標に巡りあったが、表記は「ゑのしま道」だけでなく、「江の嶋道」や「江のし満道」などのものがあり、私的には、数多い道標の表記の違いでその場所が判る様にしていたのではないかとも感じられた(あくまでも私的考察)

   
 「小池家の古民家入り口(下)と母屋出発時、柏木さんが事前に用意され全員に配られた「江の島道」の古地図と干支の十干十二支図(多謝)

古地図には、出発地点の石上村から終着点の龍口寺まで載っており江の島道旧街道への道導となった。「道印石」と記されているのが道標である。十干十二支図では、今年の干支の丁酉は、34番目、今回多数お目に掛かった庚申塚の庚申は57番目になっている。

新林公園
新林公園(しんばやしこうえん)は、藤沢の中心街に近い緑の谷間に広がる大きな公園で、周辺の山からの湧水でできた「川名大池」や江戸時代の古民家が静かに佇む自然豊かな公園である。大池はバードサンクチュアリになっており、観察されるカワセミは市の鳥になっている。

  
  公園入り口にある立派な「長屋門」

 

 
     小池家の古民家入り口と母屋

小池家は江戸時代の名主の旧家で、天保12年(1841年)の棟上の建物。この年は水野忠邦による「天保の改革」が始まった年である。
公園でボランティアをしている方が親切に案内してくれた。新しく東京都知事になった小池百合子氏との繋がりを質問したら「小池さん」は何処にでも居ますからとの返事であった。
東京都の改革推進と結びつけた質問がまずかったか、、、

 母屋の内部は立派な囲炉裏、外には大きな井戸・・・井戸の中はいまだに綺麗な水があった・・・・当時の賑やかな会話が聞こえてくるような井戸端であった。  

 

 ここにはバードサンクチュアリがある。野生鳥獣類の生息地の保全を第一の目標として「聖域」として
確保されているが、人間と野鳥などとが触れ合える場としても整備され、人間が出しゃばらぬよう仕切りの
のぞき穴から彼らを観察するような仕組みになっている。

 
  バードサンクチュアリ」から覗くと「川名大池」が望める



 新林公園で見られる鳥は実に多いようだ。


 
 ボランティアの方の親切な案内説明に聞き入る面々

ここでは公園の保全その他で多くのシルバーボランティアの方々が活動されている。
所々で懇切丁寧な案内説明をして下さった。
そんな時でも、全然聞いていない人が一人や二人いるものです、、、ね 
快晴に恵まれたこの日は、幸運にも紅梅と白梅が同時に咲いている光景に出会った。


           
             青空に映える紅梅と白梅


馬喰橋(うまくらばし)
「江の島道」を更に進むと右手に境川が現れ、川とは反対の左手に緑色の小さな橋が現れる。
その橋の名前は「馬喰橋」。本当に小さな小川に架かる小さな橋だ。
ここが橋だと気が付くのが難しいほどの橋は、「馬喰橋」。「ばくろうばし」ではなく「うまくらばし」と読む。
由来が気になり馬喰橋の横に市の教育委員会が設置した看板を見ると「源頼朝が片瀬川に馬の鞍を架けて橋の代わりにしたことから馬鞍橋、また昔馬がこの橋にさしかかるといななき突然死んでしまうことから馬殺橋と呼ばれた」と記載されている。行者聖が橋の石を取り替えてから馬が死ぬ事はなくなったという伝説が残っているというちょっと不思議な橋。
同じ「馬喰」と使った地名では東京に「馬喰町」(ばくろちょう)が思い浮かぶ。東京にある馬喰町は、馬を養い育てることを主に仕事をしている博労(馬工労)に由来しているという説が有力と言われている。同じ漢字が使われているので何か関係があるのだろうか。

https://ja.localwiki.org/media/cache/09/b7/09b728dd6266cc367603f687c39daeaf.jpg https://ja.localwiki.org/media/cache/9f/e9/9fe97742d3358036b3a28adde900068d.jpg 

密蔵寺へ向かう道中の面々。狭い旧街道を堂々と真ん中を行く。
幹事が「一列に!」と声を掛けてもなんのその、、、、、、

  
 

密蔵寺までの道中で庚申塚など多数の石塔に出会った。
上写真の左は、三猿碑と庚申塚と道標が一緒に並んで設置されていたが、元は別々のところにあったものを整理設置したものとおもわれる。右は、比較的大きな庚申塚である。


密蔵寺
宝盛山薬師院密蔵寺といい真言宗大覚寺派の寺である。石像が多い寺として有名。



      密蔵寺の入り口



   多数の石像群 


 

左は日蓮聖人像と本殿、右は「愛染かつら」の木愛染明王を祀ってある縁からだそうですが、昔日の松竹の大スター女優の木暮三千代が植えたとの解説があった。


常立寺(じょうりゅうじ)
日蓮宗の寺で山号は龍口山。北条時宗の命により処刑された杜世忠ら元国使の塚がある事で知られる。また枝垂れ梅の名所としても知られる。旧本山は身延山 で、近くの瀧ノ口の刑場で処刑された刑死者を弔う為に出来た寺であった。文献によると、文永11年(1274)10月蒙古の王・クビライは3万3千隻の船で対馬・隠岐を襲い、19日には博多湾に上陸をした。日本軍はたちまち敗走したが、台風により蒙古軍の船が難破し1万余りの兵が水死し、蒙古軍は引き上げていった(文永の役)。鎌倉幕府は蒙古の再来を恐れて腐心をしていたが、建冶元年(1275)4月蒙古の国使・杜世忠ら5人が長門国(山口県)にやって来て、9月に鎌倉に到着した。蒙古は降服を要求したが、時の執権・北条時宗は蒙古の国使5人を9月7日に滝の口刑場で斬った。死骸はこの常立寺に埋葬され、ここに5基の五輪塔が建ったのである。元使五人塚と言う。その6年後、弘安4年(1281)5月に蒙古は兵力14万、軍船4400隻で再来したが、再び台風に襲われ、蒙古軍10万人が水死。こうして北条時宗は日本の国難を切り抜けることが出来たとのこと。

五輪塔の五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順。それぞれが天・風・火・水・地、即ち五大を表現しているとのこと。

平成17年4月7日朝青龍白鵬モンゴル出身の幕内十両力士らが元使塚を参拝。モンゴルでは、青い布(青はモンゴルで天の神を意味する色)を木の枝に巻いているとのこと。青い布を五輪塔に巻き、元使を弔い、その後も毎年、藤沢で巡業の際にモンゴル出身力士による元使塚参拝が行われるようになり、五輪塔には常に青い布が巻かれるようになったとのことです。

  
          五輪塔 奥に僅かに青い布が見える

 常立寺を後にして龍口寺に向かう道中に、庚申塚と道標が一緒に立っている所に出会った。

 

この道標は、「ゑのし満」とある。右は、街道の分岐点に建つ道標、「右江のしま」「左龍口寺」とある。



しかし、これらの道磦も時代の流れ都市化の狭間に埋もれかかっている。分岐点に建つクリーニング店の看板が鬱陶しい。

龍口寺
日蓮宗の本山で、霊跡本山 寂光山龍口寺という。山門の阿吽の像が睨みをきかせている。

  

   

広大な敷地に建つ伽藍の数々、奥に五重の塔も見える。

 

  山門前で記念写真を撮る。皆いささか終盤での疲労と空腹の表情が滲み出ている写真ではある。

 

 宿坊と思われる立派な佇まいの建物と鐘楼。この鐘楼には「延命の鐘」と書いてあったのを読んだ面々は、早速鐘を突きまくり・・・何年延命になったことやら・・・・説明文を読むと、「念仏を唱えながら打つ」とあるが、何と唱えたかは不明。

奥の小高い墓地の近くに建っている五重の塔と本堂前の大きな雨水枡

  

 この地では、文永8年(1271年)912日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ばれている。

鎌倉幕府の反感を買った日蓮聖人が捕えられ連行され処刑されることになったが、処刑直前、江の島の方から光の玉が飛んできて斬首役人の目をくらませたとか、処刑に使われた刀に光がかかり三つに折れたとも伝えられる。結局、処刑は中止になった。
龍の口刑場で処刑を免れた者は歴史上、日蓮聖人以外誰もいないとされている。境内には連行された折に日蓮聖人が一晩を過ごした土牢が今も残る。


     
日蓮上人が一夜を過ごした土牢

 いよいよ食事処へ移動。 幹事が予約してあった、地元の名店「かきや」の2階に落ち着く。




貸切状態の「かきや」の2階での談笑。
ビールと日本酒、焼酎の入った元気な声が飛び交う寛ぎのひとと、、、皆の笑顔が良い。

ビールで乾杯の後、しらす三昧セット「こゆるぎ」を皆で食べる。新鮮な、しらすの丼とかき揚は、実に美味しかった。 


       しらす三昧セット「こゆるぎ



小動(こゆるぎ)神社
昼食後はいよいよ終着点の小動(こゆるぎ)神社である。

小動神社  

 小動神社(こゆるぎ)は、文治年間(1185~90)、江ノ島詣でに訪れた佐々木盛綱が、近江の八王子宮を勧請したのが始まりという。赤いほっかむりをした狛犬は地元の漁師の寄進。小動神社の建つ小動岬には、風もないのに揺れる松があり、「こゆるぎの松」と呼ばれていたことから、「小動」の名が付いたといわれる。盛綱はこの松を「天女遊戯の霊木」と称賛したという。

 小動神社の展望台から江の島を望む。何か昔日人の想いで見えたのが不思議である。

  

 数々の想い出を胸に、江ノ電の腰越駅に・・・・ここで散会となったが、旧街道を歩いたことで、多くの先人達の息吹を感じ、思いを馳せることが出来、実に有意義な今回の山八会となった。             

追記:万歩計を見ると、18,459歩、自宅からの往復を考えると約15,000歩程の今回のウォーキングであった。