


小石川後楽園入口にて
10時10分前には飯田橋駅改札口に12名全員が揃い、早速小石川後楽園を目指して歩き始める。天候はまずまずながら、冷たい北風が吹き、手が凍えそうだった。今回は第19回に特別参加いただいた横田さんも顔を見せた。
歩くこと10分弱で、小石川後楽園入口に到着。ここでまず集合写真を撮る。
その名前の由来は、中国の「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名付けられた」とのこと。
入ってすぐの大泉水は琵琶湖を模して作られた由で、ここで提灯と印籠を手にして、集合写真を撮る。写真のバックに後楽園ドームが入っているのも一興である。

提灯と印籠を手にして
ここは、江戸初期(1629)に水戸徳川家の頼房が作りはじめ、二代藩主光圀の代に完成した回遊式築山泉水庭園である。
この庭園は、喧騒な都会の中にありながら、約21,500坪の広さを誇り,園内には、池、築山、橋、林などが点在している。

園内案内図(画像をクリックして拡大)
我々は、途中の景色を眺めながら、一挙に奥の梅林に向かう。
そこには、わずかな数ではあるが、幸運にも梅が咲き始めていた。

早くも咲き出した梅の花(石塚さん撮影)
またその傍らには新春の象徴である福寿草が見事に咲いていた。

福寿草 円月橋
その後、順路に従って円月橋に向かう。この石橋は、水面に映る形が満月に見えることから名づけられ、確かにその通りであった。

円月橋をバックに
約1時間程園内を散策した後に、この後楽園を後にし、次の目的地である、伝通院に向かう。
安藤坂を上って、山門が見えたところで、意外にも、昔TVでおなじみの指圧の神様(浪越徳治郎)の指圧院を発見。
同氏の銅像などを見ながら、「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」の名文句を思い出し、皆で懐かしがる。

浪越指圧治療センター前で。現在は徳治郎氏のお孫さんが院長を務めるとか、、、
同院からすぐに、伝通院の山門前(写真8)に到着した。この伝通院は徳川家康の生母(於大の方)が出家した後に、伝通院と称したことに因んでおり、今も於大の方は立派なお墓に祀られている。

伝通院の山門 家康の母於大の方の墓所
また同墓地には、悲劇のヒロイン、二代将軍徳川秀忠の娘である千姫をはじめ多くの徳川家ゆかりの女性たちも眠っている。思っていた以上に、立派な墓所であった。その他、文豪佐藤春夫や柴田錬三郎の墓もあるという。
ここからさらにくねくねした細道を20分ほど北へ歩いて、本日の最終目的地である、小石川植物園に向かう。
正門前で、園内案内図をみて概要を把握。

東大植物園概要図
この植物園は、約330年前に徳川幕府が設けた薬園を前身とし、明治に入ってから、東大の付属植物園となり、現在に至っている。
面積は48,900坪と広大であり、現在も植物学の研究、教育の場となっている。
園内入ってすぐに、メンデルの葡萄やニュートンのリンゴなどの伝承品種が植えられていた。

ニュートンの生家にあった木から接ぎ木で分植されたという
さらに広い園内を進むと桜らしきものが見え、近づいてみると満開の緋寒さくらが一本あった。またその近くには、
山本周五郎原作の映画[赤ひげ]で描かれた小石川養生所の井戸があった。

緋寒さくら 小石川養生所の井戸
さらに奥まで進むと、日本庭園があり、その最奥には、東大医学部の前身の東京医学校(現在は博物館)の建物が見えた。

旧東京医学校の建物
また日本庭園からの帰路に梅林があり、さっきの後楽園より華やかに紅梅、白梅が咲き誇っていた。またこの中に我々が目標とする長寿という名の梅もあった。

紅梅白梅を背に
この植物園を1時間程のんびりと散策した後、播磨坂をのぼり、茗荷谷駅に向かう。駅前の「庄や」にて恒例の昼食会が開かれ、刺身をつまみにビールにて乾杯となった。

「庄や」での打ち上げ
本日の行事は是にて全て無事完了した。約3時間(久々の12,500歩超え)の散策であった。
皆脱落せずよく頑張りました。ご苦労様でした。
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