朝夷奈切り通しを歩く  
                  (文と写真)柏木正弘


 熊野神社入り口にて

令和4年11月15日(火)第71回目の山八散策参加者は、久々参加の浪本、杉岡ご両名併せて、阿川、石塚、大川、進藤、高橋、広瀬、柏木(報告者)の計9名。

散策数日前から天候は曇りがち、散策当日「午後には晴れ間も」との天気予報。
何時もながらの鎌倉駅に集合した頃には、雨がポツポツ。しかし、予定通り、10時過ぎの金澤八景行きのバスに。バスに揺られること暫し。十二所神社(じゅうにそ)バス停で下車。

バス停の呼称「十二所(読み方は”じゅうにそう”)」は、昔は、この地域が十二郷ヶ谷とも称され、十二軒の村だった事に由来するとか。十二所神社バス停で待ち合わせた広瀬、杉岡ご両名と合流、斯くて本日の山八散策グループ勢揃い、集合写真の後、本日の散策スタート。

バス道を八景方面右側に斜めにそれる小径に歩を進めたところで、作業員が立ち働くトラックの溜まり場のような作業場が。石塚さん、散策企画の責任感からか、
「朝夷奈切り通しはこちら方向でよろしいか?」
と溜まり場の作業員の強面の一人に尋ねるに、強面の彼曰く、
「そうだけど・・・、俺は昔、途中まで行ったことはあるが、道に苔が生えていて滑りやすくて引き返してきたよ」と。
要は、「おまえさんら爺さんは止めた方が良いよ」と言わんばかりの風情。


 アドバイスをくれたお兄さん

もちろん、そんなことで怯む山八ではない、しかし、「爺さんは止めとけ」と言わんばかりの強面の助言には若干の気懸りを残しながら小径を進むに、右手には住宅が続くも直ちにそれが滑川に変わり、やがて道が右側に曲がり滑川と交差する地点で小さな橋が。橋のたもとには「朝夷奈切通へ」の道標が。


 心配だったルートもこれを見て一安心

本日のルートはこれで間違いなしと確信し橋を渡ると、道の左側には用水路を挟んで住宅が数軒並んで。この用水路が大刀洗川である。


 大刀洗川の岸辺を行く

ここまで来ると("ここまで"といってもたかが数分の距離であるが)路面には落ち葉が急に多くなり、道左手の家並みも途切れ、山道の近いことを感じさせる雰囲気。やがて、道の両側は草木がびっしりとへばりついた崖の底の細道のような風情。彼の作業場の強面の助言から、路面はぐちゃぐちゃで歩きにくさを予想していたが、あに図らんや、路面はしっかりとしていて「切り通し」の看板どおり、岩を切り開いたしっかりした道か・・・と期待。


 予想外のしっかりした道に一同安堵

歩を進めるに従い、滑川に注ぐ辺りでは用水路のような風情の大刀洗川も、川幅も深さも
小さく浅くなり、この辺りになると道端を流れるきれいな小川の風情。


 自然の川の姿になった大刀洗川

やがて、道の左側の岩壁の隙間からきれいな水がしたたる「大刀洗水」と標識が掲げられているあたりで、大刀洗川は視界の外に(梶原景時が上総介広常を謀反の疑いで斬ったのは1183年、その際刀の血を洗い流したのが川の名称の由来とか。
ただし、北条泰時が朝夷奈切り通しを作らせたのは、その数十年後の1240年とか。

暫し歩を進めると左に入る道が出現、道標によれば「十二所果樹園」へのルート(同園は鎌倉随一の梅園だそうだ)
ここにある案内板には、朝夷名切通の由来が詳しく書かれている。


 朝夷名切通の説明


我々山八はそのまま直進。すると直ちに少々広い空間に、その一隅には一筋の滝が。「三郎の滝」である。朝夷奈切通を一晩で切り開いたと伝えられる強力の朝比奈三郎義秀なる伝説の豪傑にちなんで付けられたとか。ルートはここからが切通の本番の模様。
ここで再度、気合いを入れる意味も込めて、集合写真をとる。


 「三郎の滝」にて

確かに、ここからは路面の様相が一変、路面はまさに大きな岩そのものの上り坂。
ただ、ノッペリした大きな岩そのものではなく、大きな間隔で段差を切った階段の様相。
「苔で滑って登れなかった」という、かの強面作業員の言葉を思い出しながら、間隔の広い岩の階段を上り続ける。勾配は恐れていたほどに急ではない。しかし、爺さん達にとっては単調な登りには息が切れる。

 
  これぞ切通という道を進む

削岩機なんぞの道具もない頃、岩山に深い溝を掘り、その底面に斯様な階段上の路面を、それこそノミと金槌の手作業で道を切り開き仕上げたとは、作業に駆り出された農民か武士か、その面々の労苦と、それを遂行した権力のすさまじさはまさに想像を絶するものだ。

やがて、「大きな間隔の階段」状の道の勾配も緩やかになり、道の右川の大きな岩壁の若干窪んだところに磨崖仏が。切り通し掘削工事に従事し命を落とした者の供養か、はたまた、通行人の安全を祈願するためか。この辺りが切り通しの峠かと、一同、峠到達の満足感と安堵の一瞬。

  
   岩盤に掘られた磨崖仏

峠到達の感慨もそこそこに、峠を過ぎると、道は下り気味に。すると直ちに、「右 かまくら道」なる道標。その「かまくら道」を覗くと、道の入り口に「熊野神社」の石柱、熊野神社への入り口である。熊野神社へはきつい階段を突破せねばならないとの石塚さんの事前調査、ここで爺さんには無理無用!と、そこで集合写真を以て参拝に代え、峠の下り道をそのまま辿ることに。

下り道の先方を見通すに、一見ゴロゴロした石が敷き詰められているかの様相、こりゃ大変足を痛めないように気を引き締めてと思いきや、実は石ではなく土嚢が点々と配置されていて、土嚢のクッションで足への衝撃もなく極めて歩き易く、快調な峠下り。この頃から、雨脚が少し強まり始め傘をさしながらの下りとなったがすぐに、木々の間に横横道路が見え始め下界近し!と意気揚々に。



 石に見えるのは実は土嚢で濡れていても歩きやすい

直ちに、切り通しルートの終点の柵に到達。バスを降りてから1時間前後、あっけなくの切り通し踏破である。しかし、踏破は踏破、一同満足感を持って、切り通し踏破記念の集合写真。


 祝!踏破!!

終点柵の横には「国史跡 朝夷奈切り通し」の切り通しの紹介パネルが。このルートがかつて「塩の道」と称された産業道路であり、また、鎌倉幕府の防衛施設でもあったと。往時の人々の切り通し往来の姿が目に浮かぶ。


 終点にあった紹介パネル

切り通しを出て環状4号線に向かう路地左側一角にしめ縄を回した巨木が姿を現す。
すると山八会の面々から「頼朝もこの木を見たかな?」てな声も聞こえ、「鎌倉殿の13人」効果もあってか将又切り通しのもたらす雰囲気の為せる業か、一同ある種の「鎌倉気分」に包まれながら、環状4号線朝比奈バス停へ。

バスに揺られこと暫し、金澤八景駅に。降り出した雨を理由に、当初予定ではさらに足を延す筈であったところを少々省いたためにランチの予約時間より少々早めの金澤八景駅。

予約レストランは、駅直結の”ウィングキッチン金沢八景”の4階、4階へはエスカレータで。つい先刻までわが足を駆使してそれこそ息を切らして坂を登ってきたのとは大違い、楽ちん楽ちん限りなし、やはり文明の利器のありがたさ。


 文明の利器はやっぱり楽チン

予約レストランは、イタリアン「カプリチョーザ」


 カプリチョーザ

若い女性が好みそうな店の雰囲気もものかは、爺さん集団、どんと一同席をとりランチに。
ランチメニューは、全員同一、スープ・サラダバー付きの魚介パスタとする。


 恒例の乾杯


 この日のメニューはシーフードパスタ

恒例の生ビール乾杯に始まり、パスタに舌鼓を打つ。
その後は2階のタリーズに移動、これまた恒例の食後デザートとしてシフォンケーキを目指すものの叶わずそれぞれに好みのケーキとコーヒで暫しの歓談。

斯くて、第71回山八散策「朝夷奈切り通し」は終了、デザートが終わる頃には雨も上がり、次回の散策を約し、駅前で集合写真にて解散。

当日の歩数は6,000歩で一同合意。

報告者の記憶と三八ホームページによる確認からは、鎌倉七口と称される七つの切り通しの内五つの切り通しは確実に踏破済み。
何時の日か、残る二つの踏破、その実現を楽しみにしたい、、、(これは報告者の独り言)

                           以上