根岸森林公園と妙法寺の梅見        
                        (文)早川純 (写真)早川純(*) 石塚洋(**)
                   

    
妙法寺にて(**)                    
                      
2月の山八会は、横浜市中区根岸台の根岸森林公園と磯子区新杉田にある妙法寺の梅見を主体とする散策。
2月12日(金)、根岸線山手駅改札口に阿川、荒木田、石塚、小野山、進藤、高橋、浪本、広瀬、早川の9名が集合し、8時55分に根岸森林公園に向かって出発した。
地図を見ながら行ったが、スタートして直後に道を左にとりすぎて間違えたが、海と反対側の高台の方へと向かい5分ほど余計に歩き、9時12分ごろに公園の入り口についた。
 
この公園は、1867年(慶応3年)に開設された日本初の洋式競馬場であった横浜競馬場(根岸競馬場)の跡地を活用したものである。この競馬場は皇室御賞典(現天皇賞)や横浜農林省賞典四歳馬呼馬(現皐月賞)などの大レースが行なわれた、日本における洋式競馬の黎明期を代表する競馬場で、各地に設置された競馬場のモデルともなった。
戦争が激化した1942年(昭和17年)に競馬の開催を中止し翌1943年(昭和18年)から海軍の管理下におかれ閉鎖された。戦後米軍に接収され、1947年(昭和22年)からは米軍の管理下におかれ、馬場内エリアは米軍専用のゴルフ場となり、現在の芝生はゴルフ場の名残である。1969年(昭和44年)に旧スタンドなど一部を除き接収が解除されて国有地となり、横浜市が無償で借り受けて整備し、1977年(昭和52年)10月に「根岸森林公園」として開放された。その他のエリアは1969年(昭和44年)から日本中央競馬会が整備を進め、1977年(昭和52年)に「根岸競馬記念公苑」を開設、「馬の博物館」、月1回試乗会が催される「ポニ−センター」などがある。公園内には桜の山と芝生の半周りの桜と2箇所の桜の花の見所があり、その季節には大勢の人々が桜の花を楽しむ桜の名所でもある。
この公園は在日米軍の住宅施設と隣接している。向かって右側が米軍施設、右側後方にはかっての競馬場の馬見所の塔がそびえている。

 
            米軍施設と馬見所を背景に(**)

我々は、まず一等馬見所〔競馬場当時は一等馬見所、二等馬見所(観覧席がその前に設置されていた)があったが現存は一等馬見所のみ〕へと向かった。

馬見所(関東大震災後に建築家J.H.モーガンの設計で再建された)の塔の後ろには、モーガンの設計図や写真が展示されている。これらをながめながら、当時の馬場、観覧席などを思い話し合った。




 競馬場の全盛時をしのばせる写真(*) 


塔の後ろの町並みを見ると、岡の上にはまだ米軍の住居が残っていて手前の日本の住宅街とは大違いである。
各人もろもろと、やっぱり米軍は・・・
古い話だが、2010年度の在日米軍経費の日本負担分は総額約7,000億円弱。在日米軍が第7艦隊を含め49,000人とすると、約1400万円/人だった。


 丘の上に混在する米軍住宅と日本人住宅(**)

次は公園内の梅園へ。真ん中に道が通っていて、両側の梅の花を楽しめるようになっていて、進藤氏の言では非常に見やすいとのこと。
しかし、今年の梅は花が少なく、なんとなくさびしい感じの木々が多かった。



 根岸森林公園の梅(**)


かすかな梅の花の香りを楽しみながら、次の馬の博物館へと広大な芝生を横切って向かう


馬の博物館の横手のしだれ梅を横に見ながら館に向かった。館の入り口には数年前に植えられた数本の河津桜が咲いていた。今年は例年よりちょっと早い咲き具合であった。

 
  馬の博物館のしだれ梅と河津桜(*)


馬の博物館、入場料、大人100円、高校生以下は30円。博物館の前には「シンザン」、後ろには「トキノミノル」のブロンズ像があり、この横には椅子が設置してあり、気候がよい折にはここで休んだり、昼食をとっている人々をみかける。館の横手にはしだれ梅はじめ梅の小林がある。

入場券を買って受付に提出し、説明書をもらって館内へ。入り口にはガラス箱に収納した天皇杯(大正9年)が展示され、また競馬場の全体図などが掲示されている。
人と馬との文化の始まりは、いまから5千年ほど前のユーラシア大陸中央部での馬具「ハミ」の発明とされている。
この馬文化が日本に渡来したのは古墳時代。貴族や武士の社会と結びついて発展する様子を示す馬具、絵画、版画、馬の意匠を施した工芸品などが展示されている。馬の進化から家畜化の過程や馬の生理・生態・歴史などは模型で紹介していてわかりやすい。

この博物館には馬力測定機器というのがあり、文字通り自分のパワーが計れる。
いまだ体力には自信満々(?)の阿川氏が挑戦した。さて結果は?

「徳川吉宗の馬術復興」と「地方競馬展」が開催されていた。
第8代将軍吉宗は和歌山藩主時代から武芸に興味を持ち、弓道や馬術を調べさせていた。関が原後100年を経過し多くの武芸が衰退していった。吉宗は流鏑馬をはじめ多くの馬術を奨励し多くの古式馬術を復興させ、またオランダから洋種馬を導入するなど畜産にも力を注いだ。
展示されている○○流馬術書、打毬の図や流鏑馬図鑑、壮大な軍勢を描いた屏風絵などが吉宗の武術(馬術)復興への意欲を示している。それぞれが展示を楽しんでいるようだった。

日本の競馬は、日本中央競馬会が主催する中央競馬と都道府県や市町村の地方自治体が主催する地方競馬にわかれているが、いずれも1948年(昭和23年)制定の競馬法に基づいて運営されている。
「ばん馬」と呼ばれる大型馬が鉄製のソリを曳いてパワーとスピードを競う世界で唯一の「ばんえい競馬」(帯広競馬場)やカクテル光線に照らされたコースを競走馬が疾走する「ナイター競馬」(東京:大井競馬場、兵庫県:園田競馬場など)などが行なわれている。本展では、各競馬場の特色や主要レースの紹介を中心に、現在の地方競馬の概要を写真と関連資料で紹介している。

博物館を出て、ポニーセンターへ。ポニーとは、肩までの高さが147cm以下の馬をいうらしい。厩舎には現在6頭がつながれていて、そとにポニーが1頭いた。この6頭をかなり長く(時間にして15分ほどか)ながめ問答をしていた。その間にポニーを女性騎手が馬場へ引き出し、早足乗馬の訓練をはじめた。
一番若い馬が5歳、最年長が24歳とあった。

ほぼ予定通りの2時間ほどの散策で、公園を11時20分ごろ出て根岸駅へ向かった。
 

根岸駅発11時46分で新杉田へ。新杉田駅まで2駅、5分ほどでついた。
妙法寺は、新杉田駅から徒歩で約10分。
1352年(文和元年)創建され、江戸時代、梅の名所「杉田梅園」のほぼ中心に位置していたっという。
門前に樹齢600年のビャクシンの大木が倒れそうに傾いていた。
     

 
 ヒシャクシンの大木(*)          幹が補強されている(*)


妙法寺内外には、上の樹齢600年のビャクシンや榧、銀杏などの大木が目立ち古くからの施設であったことを示している。
天覧梅や「照水梅」(しだれ梅)の木もあるが、根岸森林公園と同じように今年は花のつきが少ないようだ。

ゆっくりと見まわり、昼食とすべく新杉田駅方面へ。
駅前のラビスタ新杉田の高層ビルと駅ビルと結ぶ陸橋の途中で、「てんぷら定食:激安600円」と書かれた
「はりまや」の看板を発見。
迷わずさっと陸橋途中の階段を降りてビルの2階にはいる。右側に小さな飲み屋と思われる店が5店ほど並んでいるがみな閉まっていて、一番奥の「はりまや」のみがあいていた。12名ほどがはいれる店だが、お客はいない。石塚氏が「9人いいかな」と訊き、ぞろぞろと入る。
65歳前後と思われる主人と娘とみられる女性の二人が応対。メニュ−はてんぷら定食のみということでそれを頼む。


  看板娘?(*)


飲み物はビールと熱燗というと、主人が言うには「うちの酒は熱燗は水っぽくなり常温がうまい」とのことで常温の酒を注文。
まず、ビ−ルで乾杯をし、それからはビール好きはビールを、酒好きは酒を、途中から焼酎にした人も。
この店には自家製の梅酒があるということで、これも誰かが注文。
一人当たりの勘定は締めて1,700円だったが、そのうち酒代が1,100円だった。よく飲んだものだ。
2時半ごろ新杉田駅で解散、12,800歩の散策であった。お疲れ様でした。