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そろそろ春も花の季節。神奈川花の名所百選に選ばれている常泉寺を訪ねました。
少し早いけれど、運がよければ近所の引地川辺の桜も見られるかもとの魂胆です。
山門前にて**
1.山門まで
高座渋谷駅に集合しました。約800m歩いて山門前の道へ来ました。
道の両側、赤色ミツマタと白黄のミツマタが満開で輝いていました。
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赤ミツマタ** 白黄のミツマタ*
紙幣の原料に使われることから、ミツマタを集めて植えているのは、住職が紙幣の収集マニアなのかと思いましたが、中に入って本堂と庭を巡るうち、そうではなく、お参りするひとへのお寺からのおもてなしの心だと思うようになりました。
寺の歴史と文化財については、下の写真をご覧下さい。
2.山頭火の句碑
本尊が聖観音のこの寺の山門脇の庭先に、全部の枝が
下がっている松の木が植えられており、その傍らに、
種田山頭火の句碑がありました。
「松はみな枝垂れて南無観世音」
(写真:山頭火句碑)
大正末期、失意の山頭火は、熊本の曹洞宗 味取観音瑞泉
寺の堂主として、句作と独居をしていました。この句はそ
の味取観音堂で読まれました。松が枝を垂れているという
ことに、山頭火自身の心の淋しい状態を重ね合わせて表現
しています。「観世音菩薩よ、この心の状態をお救い下さ
い」というようなニュアンスになります。そこに句碑があ
ります。
同じ句の句碑は味取観音堂にもあります。
福岡県の隣船寺に、山頭火の揮毫の文字を地元の石工が彫
った句碑があります。
句を読んだ味取観音の碑よりも、隣船寺の句碑よりも常泉
寺の句碑はデカくて、書体自体も立派に書けていると思い
ます。
隣船寺の碑はリサイクルで、いらなくなった墓の石材の裏
側に掘られているようです。現代では、いらなくなった墓
石は粉にして、電車の敷石などに利用していることが多い 山頭火の句碑*
ですが、墓とか石碑に再利用してもよいのにと思います。
3.本堂
本堂は障子が締まっていて本尊が見えません。但し、本尊が聖観音であること、また、参るときは合掌して「南無観世音菩薩」と唱えることを指導する看板があります。
鰐口という金属製のドラ焼き様のものがぶら下がっています。
本堂前*
観音経には、色々な苦悩を受けるとき、「観世音菩薩」の名前を一心に唱えたなら、観世音菩薩はその声を観じ、皆に完全な悟りを得させますとあります。この経を読めば、聖観音本尊を見なくても、鈴や鰐口を鳴らさなくても、いつでもどこでも菩薩の不思議な威力によってあらゆる苦悩から逃れることができるようになります。
浄土宗や浄土真宗の信者が「南無阿弥陀仏」と唱える効果と同じです。色もかたちもない仏の働きを感じて、仏と共にあるのです。
他の宗派ではこうはいきません。神道では柏手を打ったり、鈴を鳴らしたりして神を呼びます。多くの人は、神は神社に、仏は寺にいるもの、偶像、絵像が神・仏と思っています。警察庁調べで、初詣をする人は2006年総計、9373万人と国民の大多数にのぼります。この人たちの多くは、1年に1度、神社でしか神を呼び出せない人たちです。しかも賽銭が必要と考えています。突然ピンチや死が訪れたとき、間に合わないのではないかと思います。神・仏と共にあることはとても大切なことと思います。
4.道元像
本堂前に道元像と
「仏道をならうというは、自己をならうなり 自己をならうというは、自己を忘するるなり」
と書かれた石碑があります。
道元像*
これは道元禅師の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の中の「現成(げんじょう)公安(こうあん)」という章の中の言葉です。
私はこの言葉の意味を次のように解釈しています。
「仏道」とは、釈迦の説いた教えです。仏道を習うということは外(ほか)のことを習う、学ぶのではなく、自己を習う・感じることだと説いておられます。ここでいう「自己」は自分の本体のことです。いわば「神・仏のかけら」が自分の中に存在していて、意識しなくても呼吸・心拍・消化・自然治癒力などの働きをし、ホトケゴコロ(真心)を存在させますが、その神・仏の働きです。「仏道をならふというは、自己をならふなり」に続いて「自己をならふといふは、自己を忘るるなり、自己をわするるといふは、万法(まんぽう)に証せらるるなり」と続きます。「自己を習う・自己を学ぶ」とは、「自己を忘れること」。「忘れること」というときの自己は、身体が伝えてくる感覚に瞬間反応してしまう心のこと、煩悩をもつ自己のことを言っています。「万法に証せらるるなり」の「万法」は、森羅万象(一切の事象)に偏満する宇宙の法則のこと。従って、「万法に証せらるるなり」とは、宇宙のパワーを頂いて森羅万象全てのものと因果関係をもちつつ生きさせて頂くという事です。
自己とか他者といった仕切りが除けられ、自己への執着心が抜け、自他一如となります。互いに共感、調和状態となります。無心に他の為に尽くす自己。他人だけでなく、虫けらまで同じ命をもつ仲間と思って殺生しないようにします。イスラム原理主義の方々、それに対抗しようとする方々にも、ガンジーのように、こうした心境がわかって欲しいと思います。
「自分の中に神・仏のかけらがある」と思うことができれば、いつ、どこにいても、念仏を唱えて神・仏と共にあると観ずる必要さえなくなります。
道元像の前で、石塚さんが、仏教を勉強していることを紹介してくれました。『梅原猛さんを紹介してくれた先輩は元国見電子社長の廣木孝安氏で、まずは「人類哲学序説」(岩波新書)を読めとのこと、早速読みました。2年前です。それから「仏教の授業」から始まり「親鸞と世阿弥」「神と怨霊」などなど。「隠された十字架」「水底の歌」など印象深いです。今全集を読んでいます。』とのことです。
5.庭
庭は手作りを重ねてきた味を強く感じます。
ミツマタだけでなく、花桃、椿、山茱萸、木瓜、雪柳、香港ツツジ、夏みかんなど数多くの植栽・河童の置物、狸の石像、筧、水琴窟などがあります。鉢植え、盆栽も数多く庭のあちこちに散りばめられています。住職のおもてなし、わかって欲しいとの心が伝わってくるように思えます。
本堂前のイヌツゲは、樹高6m、根回り4m、推定樹齢約300年と立派です。高山植物の雪割草も、日よけネットの下で咲いていました。百草頭上 無辺の春。無限の命を春に例えます。全ての上に同じように働きかけられています。天地の命が仏性です。働きが春、形はありません。個々に桃、たんぽぽ、すみれの姿をとり、無限の姿として現成します。働きを象徴的に顕わしたのが仏。一つの働きに皆生かされています。春夏秋冬に変化し、あるいは花開き、実り、散り、あるいは人間が生老病死する。そういう天地間のすべての現象が仏の姿です。(「従容録」第四則「世尊指地」の頌)
本尊などは隠してしまい、仏教の要点を本堂の前に示し、仏の働きを花と草木で感じさせてくれるこの寺を選んだ石塚さんに敬意を表したいと思います。
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庭*
5.桃蹊学舎跡
桃蹊学舎はかってお寺のなかにつくられた寺子屋です。
桃蹊の由来は『史記』李将軍伝賛にある桃李不言下自成蹊(とうりものいわざれどもしたおのずからけいをなす)からの引用と言われています。
桃や李は口を開いて人を招くことはしません。しかし、桃は美しい花を咲かせ、李は美味しい実を結ぶことから、招かなくても人々が集まり来て、樹木の下に自然と小径ができるということです。
桃蹊の格言は転じて、徳のある人は自から人集めの呼び込みをするわけではなく、自らを厳しく律することで、その人柄に惹かれた人々が訪れ、結果として多くの人が集う道ができるという意味になります。
桃蹊学舎はその後公立の小学校となり、現在は少し離れた場所にある渋谷小学校となっています。
桃蹊学舎跡の石文横には二宮金次郎像が建っていますが、なぜか河童の姿をしています。
桃蹊学舎跡碑*
「花のお寺」として知られる常泉寺はかっぱ寺としても親しまれていて、寺の中には多くの河童像があり、これもそのうちのひとつなのでしょう。
6.引地川
引地川の川辺にて*
地元の奥様に、並木の始まる地点迄案内して頂き、川岸に続く桜並木を途中まで歩きました。
開花し始めた木も見つけましたが、ほとんどの木はまだ開花前で、つぼみの膨らみを感じました。
咲いたときの写真をwebで見ましたが、いつか実物を見たいものです。
http://urx.nu/iXTs
大きな鯉が群がっているところとか、カワセミやセキレイなどを見ることができました。
7.足休め
この前鎌倉の帰りと同じ藤沢の「庄や」へ寄って歓談しました。
隣接したテーブルは、女子会のご一行でした。中学を卒業して高校に合格した娘さんを主賓に仕立てて飲む集まりでした。皆でこの娘さんを祝福するところから始まりました。
旅立ちの春を感じました。
ちょっと一杯**
石塚さんがシンガポールのリー・クアンユー元首相が本日亡くなったこと、氏が日本を学び、今や日本が学ぶ立場になるまで国を育てた業績について話されました。追悼の意を感じました。
本日参加できない同期の方々に、皆で思いを馳せました。
石塚さん、阿川さん、広瀬さんから血圧測定して管理しているとの話がありました。朝晩測定することの大切さ、また、腕で測る方が精度が上がって望ましいが、手首で測定しても、自分の相関データがわかっていればいいことなど参考となる話を伺いました。
石塚さんから、症状を心配された奥様のお勧めで、トロピカルフルーツ「ノニ果樹100%」を「生協」で買い求め飲んでいて、薬と併用しての血圧が正常値に安定してきたと、効果を感じている話が紹介されました。
浪本さんから、戸塚行きのバスの乗り場を教えて頂いたので、自宅まで敬老パスだけで帰ることができました。
地下鉄で桜木町を通るとき、いつもは途中下車してゴールデンセンター(ぴおシティ)の「はなみち」に寄るのですが、今日はとても心満たされた1日でしたので、誘惑に負けず、寄らないで帰ることができました。
今日の佳き一日に 合掌