集中治療室(ICU)体験記
                       佐藤幹郎

(エピローグ)
動脈硬化で狭くなっていた頸動脈を拡げる手術を行うことになった。
数年前、軽い脳梗塞を発症したが、この頸動脈の狭窄が原因だった。
その後、血液サラサラにする薬を服用し続け、視野が歪む後遺症も2ヶ月程で全快し、
事なきを得てきた。
頸動脈のつまり具合は毎年経過観察を行い、問題なしとのことであった。
しかし、今年の診察の後、主治医から
「頸動脈の狭窄の状態には変化はないが、今後、高齢化が進み、心臓の機能が弱くなるに伴い、
再び脳梗塞を起こす可能性がある。血液サラサラ薬に頼るのは限界に近づいている。
これを解決するには、カテーテル手術によって頸動脈の狭くなっている箇所を拡げる必要がある」

ただしこの手術には、2つのリスクがある。
1)頸動脈の拡幅で血流が増大し、老化した脳の細い血管が破れて生ずる脳出血 
2)頸動脈を拡幅する際、詰まっていた物質(プラーク)が壊れて破片となり、
 これが脳に流れ出て生ずる脳梗塞
の2つだという。

(セカンドオピニオン)
この診断から数日後、私の住んでいる町にあるただ一つの総合病院へ薬をもらいに行ったついでに、
院長先生にこの手術について訊ねてみた。
いわゆるセカンドオピニオンを求めたのである。
院長先生からは次のような答えが帰ってきた。
「佐藤さん、これはいわゆるQOL(Quality of Life)の問題です。手術をするかしないかによって3つの
ケースが起こり得ます。
1)手術が成功し、体の状態もよく長生きする。
2)手術によって、しない場合よりも長生き出来るが、何らかの後遺症などが残る。
3)手術がうまくゆかない確率が高く、すぐに死んでしまうかもしれない。
どれを選ぶかは、私の医者の責任においては出来かねます。
QOLの問題は、あなた自身が残りの人生をどう過ごしたいのかによって、あなた自身が決断すべき
問題
なのです。
そして、これを参考に読むとよろしいですと、一通の論文のコピーを手渡された。

(手術を決断)
6月末に主治医から手術をする方向で進めるか否かを問われ、手術することにした。手術日が7月20日に
決まり、その日に向けて数多くの検査日程が組まれた。
前述のQOLの問題はあったが、あまり深くは考えなかった。生来の楽観主義で、あっさりと手術することに決め、家内にもそれを伝えた。

手術を受ける病院は苫小牧市にあった。苫小牧市が工業都市となる基礎を作った製紙会社の従業員用の
病院として100年以上前に開業し、その後北海道随一の陣容と設備を誇る医療法人となった。

手術日の3日前の7月17日に入院、手術までの3日間はNMR(核磁気共鳴)、造影剤を使ったCT、
超音波による頸動脈や脳内の徹底的な画像診断が行われた。
これらの結果をふまえ、手術の前日に担当医から家内とともに呼ばれ、同意を求められた。
そして、手術によって生ずるリスクに備え、手術後に集中治療室に直行することも告げられた。
   
   
    手術前夜 病室のベッドサイドに置かれた「行動基準」

(手術前夜 最後の晩餐?)
病室に戻ると、上の写真のような「行動基準」がベッドサイドに置かれていた。午後6時の夕食を済ませた後にこれを眺めていると、物足りない病院食のせいもあり、何だか切ない気分に襲われた。
こっそり抜け出し、病院内にあるローソンへ行き、おにぎりと小さなアイスクリームを買ってきて食べた。
9時の消灯時間となり、看護師がやってきた。明日、手術後に集中治療室(ICU)に入ることになっているが、ICUってどんなところですか?と訊いてみた。
「あちこちで計器の警報音が鳴っていて、慣れるまで大変ですよ。基本的にはベッドに縛り付けられていて何も出来ないので、とても退屈だと思います」と彼女は答えた。

(手術前の準備)

その1(カテーテル挿入位置の脱毛)
7月19日、手術当日がやってきた。手術は午後1時30分開始の予定だ。
今日の朝食から絶食なので、手持ち無沙汰にしていると担当の女性看護師さんがやってきた。
開口一番「これから手術前の準備をします。まずパンツを脱いでください」
若い女性から思いがけぬことを言われ、うろたえていると
「カテーテルは太ももの付け根の動脈から挿入します。動脈にメスを入れる前に、周りの毛を綺麗に
刈り取る必要があります」と言って、シェーバに似た電気バリカンのようなものを見せてくれた。
パンツを脱ぐと、ゴム手袋をはめた手で私の一物をつまみ上げ、周りの毛を刈り始めた。
若い女性にあそこを抓まれているのに、何の反応も示さないおのれの年老いた一物が悲しい。
  
  

毛の刈り込みはあっという間に終わっだが、「そのままでいてください」という。

その2(尿道カテーテル挿入)
2つ目は、尿管の挿入である。約2時間の手術中と引き続き滞在することになる集中治療室にいる間はトイレには行けない。そのため、プラスチックの細い管を陰茎の先端から膀胱まで入れ、小便が出た場合は
管の先にあるタンクに溜まるようするという。
この管の挿入にあたっては、、高齢者の多くは甲状腺が肥大しているものが多く、そのため尿道が途中で狭まっているという。
私もその例にもれず、プラスチックの管がなかなか入ってゆかない。痛い痛いと悲鳴を上げる中、ベテランの看護師さんも応援に駆けつけ、30分ほどかかって尿管の挿入がやっと終了した。
管の先にはビニールの袋がうけられ、小便が貯まるようになっている。
膀胱にある程度尿がたまると、意識して出そうとしなくても「自動的」に流れ出てくるとの説明を受けた。




結局、私は上図のように、全裸の状態で色々な管をつながれ、ストレッチャーの上に載せられて手術室に向け出発した。
固定バンドは太腿の動脈ににカテーテルの挿入口を開けた後に、不用意に足を動かして、ここから血が吹き出すのを防ぐためである。

手術室に入るとすぐに、カテーテルを挿入する箇所へ局部麻酔が施され、メスで切開が開始された。
私は執刀医に「ICUとは退屈なところらしいですね」と朝にしたのと同じ質問をしてみた。
「ICUは重症患者が入るところです。ほとんどは意識のない患者が多いです。
たとえ、意識があったとしても、自分はどうなるのだろうということで頭が一杯のはずです。
貴方のように万が一の病状の急変に備えるために入るひとは退屈を覚えるでしょうね。
でもこのような患者は少数派です」と彼は答えた。

(手術そして集中治療室ICUへ移動)
1時間ほどで手術は終わった。両手と左足を動かして後遺症がないことの簡単なチェックをした。
2桁の簡単な引き算を3問ほど答えさせられた。
執刀医は「手術は成功しました。最終確認は明日CTを撮って行います。現在、血圧が120の通常値から180近くまで上がっています。これは予想通りです。すこし、強力な降圧剤をすぐに投与します。」

ほどなく、2階の手術室から3階の集中治療室へと移動した。配布された資料によれば集中治療室は
6床あり、それぞれ独立した部屋になっているように見えたが、実際には大部屋に6つのベッドが
並べられ、各ベッドがカーテンで仕切られているように見えた。

   
     ICU施設のレイアウト

手術前に看護師に聞いていたとおり、部屋には間断なくアラームの音が鳴り渡り、医師と看護師が
慌ただしく行き交っていた。

(ICUからHCUへ)
ICUのアラームの喧騒の中で過ごすうちに、退屈とともに右半身をベッドに縛り付けられている状態に
我慢の限界が近づいていた。
2時間ほど経過した時、男性の看護師がやって来て言った。
「術後の経過が順調で、急を要する症状の変化も見られないので、HCUへ移動します」
「HCUって何?」と質問すると、「日本語では準集中治療室といい、命の心配はないものの、
重症になるリスクをもっている患者の治療管理にあたる場所で、役割としては、一般病室とICUの
ちょうど中間に位置します」
との答が帰ってきた。
HCUはICUとは異なり、床から天井まで壁で仕切られた部屋で、ベッドが3っほど入る大きさだった。
看護師が、
「今日は佐藤さんだけですから個室です。ラジオを聞くことが出来ます。ご希望の放送局は」
というので、NHKにしてもらった。
歌謡曲の番組でキャンディーズや小柳ルミ子などの懐かしい歌謡曲、シューベルトの八重奏曲、それに
中谷宇吉郎の随筆「雪を作る」などの朗読を聴き、随分気が紛れた。

体の右側がベッドに固定されているのと、15分間隔で左腕にはめられた血圧測定の腕帯が自動的に
締め付けてくるので、眠ることは不可能だった。
結局、ICUには3時間、HCUには15時間滞在し、翌朝8時に約20時間ぶりにもと入っていた病室に戻った。

(一般病室に戻る)
病室に戻ると、担当の看護師さんから明後日までの「行動基準」を告げられた。
曰く、移動は車椅子を使用すること、単独では移動せず必ず看護師の介助を得ること。
点滴は一つ減り左腕のみとなったが、尿管は以前つけたまま、テレメータでデータを送り続ける
心電図計もそのままだった。

    
     テレメータ方式の心電図計

まだ尿管をつけているためパンツは履けないので、入院患者用の着衣も「甚平」タイプのものから「浴衣」タイプのものに代えてもらった。

病室に移ると直ぐに、手術の結果を直接観察するために、CTと超音波エコーにて頸動脈の撮影をするというので、検査室へ行く。
病室に戻ると、すぐに昼食の時間がやってきた。前日の3食と今日の朝飯と連続して4食の絶食だった。
その間とくに空腹は感じなかったが、流石に目の前に食事が並ぶと急に空腹感がわいてきた。
病院食は家での食事に比べると、量が少ない、塩気がまるで感じられない薄味などの不満があったが、
久しぶりの飯は大変美味しく食べられた。人間とは勝手な生き物である。

(手術後3日目、自由?の身に)
朝、主治医の回診があり、「昨日撮った画像を見た。ステントが良い位置に入っていて、我ながら
バッチリの出来栄えです」と自画自賛? この人はまだ30台の若さらしいが、明るくて自信家のようだ。
今更ながら、彼が積極的に勧めてくれなかったら、手術はしていなかったかもしれない。
太腿付け根のカテーテル挿入口の傷跡をチェックし、「まもなく抜糸できるでしょう。今日から歩いても
OKです」看護師が点滴、心電図計、尿管をすべて外してくれて、晴れて「自由の身」になった。
ただ、尿管を引き抜いた後、尿道炎などを起こしていないかをチェックするために、しばらくの間、尿の
一部を検尿カップに採取するように指示された。


(コロナいまだ死せず)
入院して気がついたことが一つ。5類に移行し、余り話題にもならなくなったコロナが、この病院では
いまだ厳しく対策されていることだった。病室を出るときは必ずマスクを着用されることが強要され、
マスクをせずに歩いていると職員から呼び止められ注意され、マスクの着用を求められる。マスクを持っていない時はマスクを持ってきてくれた。
見舞いのひとは病室には入室禁止だった。病室の窓は24時間少し開けられていて、入り口には大きな扇風機が室内に向け回っていて換気を促すようにされていた。
病室で一緒だった同じ年頃のひとは、手術のため老人ホームから入院していた。その人の話によると、
老人ホームの対応もいまだ厳しく、家族とは窓越しにしか会えず、ここに入院して3年ぶりに孫に会うことが出来た。退院したくないと話していた。

(退院)
7月28日、入院してから12日目にして退院の日がやって来た。午前11時に迎に来た家内と一緒に
担当医から手術箇所の数多くの映像を見ながら説明を受け、当面の生活面などの注意事項などを聞いた。
記念に映像を所望するのを忘れてしまった。

   
   ステント挿入による頸動脈拡張(帝京大学資料より
      

映像には金属ステントの網目模様まではっきり写っているのには驚いた。

ちょうど昼食どきだったので、病院内のレストランに寄ってから帰ることにした。
「あんかけ焼きそば」を注文した。

久しぶりの病室の外での食事だ。ごく普通のあんかけ焼きそばだったが、飛び切り上等なご馳走に見えて、美味しく食べ終えた。

   
     あんかけ焼きそば850円也
                             

                   ~おわり~