皇后様の御歌とねむの木の庭

                           (文と写真)佐藤幹郎


   ねむの木の庭公園


今から6年前の五月連休直後に上京した。たまたま半日予定が空いた日があり、品川区にある「ねむの木庭公園」に行って
みることにした。それはJR五反田駅から歩いて10分ほどの東五反田の高級住宅地の中にあった。
皇后陛下美智子様のご実家、旧正田家の跡地を買い取って品川区が公園として整備した。
公園の名前の由来は皇后様が高校生の時に作られた詩「ねむの木の子守歌」に因むという。

門柱をくぐって庭に入った第一印象は、予想以上ににこじんまりした佇まいであった。美しい草花をカメラに収めるのが
目的だったので、正直ちょっとがっかりしたと言うのが正直な感想であった。

しかし、私のこの思いはすぐに変わった。それは、ここに植えられている皇后様ゆかりの木や花に添えられているプレートを
見てのことだった。プレートには美智子様の和歌が書かれていた。私は園内にある全てのプレートを巡って、皇后様の歌を
読むうちに、すっかりその魅力にはまってしまい、もう写真を撮ることなどすっかり忘れてしまっていた。

プレートは10個あり、すべての御歌は皇后様の歌集「瀬音」から取られたものであった。

   
 この公園で最初に出会ったルピナスの花と美智子様の御歌         皇后陛下御歌集「瀬音」

私は皇后様の他の御歌も知りたくなり、五反田駅に戻ると駅周辺の本屋で「瀬音」を探した。幸い意外と簡単に
見つかり、購入することが出来た。

昭和55年10月15日に、両陛下は奥多摩湖畔の記念式典に御臨席になられました。
その移動中のお車が秋川谿谷の道路を走つてゐる情景を美智子さまは
    
わが君のみ車にそふ秋川の
        瀬音を清(きよ)みともなはれゆく


と詠われました。御歌集の題名「瀬音」は、この歌から採られたものです。
C流の瀬音が、殿下のお車にどこまでも伴なはれてゆく、わたくしもそうありたいという美智子様の思いが重なっている
ような気がするのは私だけであろうか。

以下に、ねむの木の庭にあった10首の御歌に、自分が撮った写真と拙い解説を加え紹介する。
なお、写真は全てがねむの木の庭で撮影されたものではないことを断っておく。


 

昭和63年5月美智子様の母・正田富美子さんが入院していた都内の病院で亡くなった。
すでに宮中のひととなられていた美智子様は、一般人と同じに病床の母を自由にお見舞いできなかったという。この歌にはそのような「距離感」が込められているようにも思われる。
歌人として高く評価されている美智子様のこの作品を、現代の三大挽歌の一っだと評価するひともいる。
 
美智子様の挽歌で好きなのがもう一首ある。美智子様を短歌の先生として17年間指導された後藤美代子さんの霊前に捧げられた歌である。
 
       
み空より今ぞ見給へ欲りましし
                日本列島に櫻咲き継ぐ

                              (昭和53年)



 















皇太子妃殿下時代に鹿児島市を行幸された折に詠まれた。
指宿スカイライン樋高展望台に歌碑がある。
 

春、両陛下が散策中、美智子様が綺麗なこぶしの花をとりたくて、木の下でどの枝にしようかと迷われていたところ、天皇が一枝をそっと皇后の目の高さまで降ろされたそうです。
ご結婚50周年の記者会見時に「結婚して良かったと思われた瞬間」と明かされた情景を詠んだものという。
 
 


















ご結婚され皇居に入られた美智子様の生き生きとした生活が窺える。
まさに、この庭にあるバラ「プリンセス ミチコ」を象徴するような歌である。

 
 
 
天皇、皇后両陛下は2019年4月13日の夕刻、ねむの木の庭を私的に訪問された。
そのとき天皇は「この白樺は都心でも白いですね」と話されたという。
ちなみに白樺は宮中では美智子様のお印(シンボルマーク的なもの)だそうである。
 
 

昭和37年5月3日、当時皇太子殿下・同妃殿下としておそろいで初の宮崎県行啓のとき、高鍋町の県高等営農研修所(現・県農業大学校)ご視察の折の美智子妃殿下として詠まれた歌である。
日向灘の潮風に咲くルピナスの美しさだけではなく、若い学生達がそれを緑肥として土にすき込み、さらに豊かな黒土にする躍動感を歌にされたところが素晴らしい。
昭和38年新年の歌会始のお題「草原」にて詠進された。


 
 

「つばらかに」は十分にという意味であろう。
つまり満開の梅を見上げておられる。
「優しき春」という表現が何とも言えない素晴らしさである。
 
 

平易な言葉しか使っていないのに、香水のようなリラの香りに包まれているような春の宵を感じさせてくれる。
 
 

前出の「仰ぎつつ、、、、」と同じような歌で、新婚の頃のお二人の仲むつまじい様子が活写されている。

 
   
両陛下がお住みになる御所の庭には、一年中いろいろな花が咲く。御所正門、御車寄、南門、お食堂テラス先、、、、春から秋にかけて御所のあちらこちらで花を開く野菊がとくに天皇陛下のお気に入りのようである。シラヤマギク、ノコンギク、ダルマギクなどなどである。
この歌はとりわけ天皇がお好きだった浜菊を皇后様が歌ったものである。

平成9年天皇皇后両陛下は全国豊かな海ずくり大会にご出席し、岩手県大槌町のホテルにご宿泊なさいました。
天皇は部屋の窓から見える海辺に咲く浜菊を大変気に入られました。
ホテルの経営者山崎氏は天皇が浜菊を気に入られたことを聞き、後に浜菊の苗を送られました。天皇は御所の車寄せの近くに植えられ、その後もこの花を楽しまれたそうです。しかし、その後に起きた東日本大震災の津波により、このホテルは壊滅的な被害を受け、そればかりか、天皇陛下に浜菊の苗を送った山崎氏や妹の女将が津波で亡くなり、残された人たちは希望を失いかけました。ある日、皇居に山崎氏が送った浜菊が咲いているのを知ったホテルの関係者は困難な再建に乗り出す決意をしました。
2016年9月、天皇皇后両陛下は、3年ぶり3度目の岩手県の被災地訪問の際、再建され、名称も三陸花ホテルはまぎくと改められたホテルに宿泊されました。浜菊の花を飾って出迎えたホテルの関係者に天皇は「頑張りましたね」とお声をかけたという。
ちなみに、浜菊の花言葉は「逆境に立ち向かう」だという。

                                     2019/04/30 平成が終わる日に