浅草ぶらり記 小野智史(文と写真)

浅草は下町風情や懐古を求めて時々好んで訪れる場所である。
好きな江戸時代小説ものの舞台であり、またそこには心の故郷や江戸の活気が今なお残っているような気がしてならないからでもある。
春3月、久しぶりに訪れた。

改修中の浅草寺本堂 完成は平成22年11月
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改修前(2007年撮影) |
浅草寺は今平成大営繕の真っ最中で、従来の右の様な本堂は、すっぽりと覆われており、大きな龍(金龍山浅草寺が正式の名称)が描かれていた。新しくチタンの屋根瓦(72,000枚)になるそうで、ここにも最新技術・・。
仲見世、雷門、五重塔その他の景色はいつも通りであるが、外人の観光客の多さには驚く。
特に韓国、中国人の多いこと!!日本人だと思うと、中国人・・・
昨日もTVで、秋葉原の電気店での中国人の買物の女性客2人で600万円だそうで中国人の買物客の多さは浅草でも同じなのだろう。
喧騒から離れて五重塔の裏手にある様々な記念碑や古跡、旧跡を訪ねてみることに
した。この辺は人影が疎らで訪れる人が少ない。
五重塔を見ながら裏手へ回る |
三匠句碑 |
正岡子規の句碑 |
まず「三匠句碑」である。西山宗因、松尾芭蕉、榎本其角の三人の歌が刻まれていた。
西山宗因(1605慶長10年〜1682天和2年)

松尾芭蕉(1644天保元年〜1694元禄7年)

榎本其角(1661寛文元年〜1707宝永4年)

芭蕉の句は、桜の花が満開の辺りに響くゴ〜ンという鐘の音、其角の句は、辺り一面に漂う名物浅草のりの香りなど、凡人にはなんとなく解る。
宗因の句は、あまりに見事な満開の桜を時のたつのも忘れて見上げていたら首の骨が痛くなったのかなとも思う。
句碑の設立は1809年文化6年とあった。
三匠句碑の隣には正岡子規の

の句碑があった。
宗因、芭蕉、其角、そして子規という俳句の偉人達の、そしてそれを敬っていたであろう大勢の人々の文化のざわめきが伝わってくるようであった。
この一角には他にも面白い記念碑がいくつかあって、退屈しない。
「映画弁士塚」・・・今やその存在すら忘れられている映画弁士の記念碑。
トーキー出現と共に消えていった徳川夢声をはじめとする名人、天才といわれた弁士の名が、碑一面に刻まれている。
数えてみたら、なんと113名!
映画弁士の記念碑 |
喜劇人の碑 |
碑文には、
「明治の中葉わが国に初めて映画が渡来するやこれを説明する弁士誕生、幾多の名人天才相次いで現れその人気は映画スターを凌ぎわが国文化の発展に光彩を添えたが、昭和初頭トーキー出現のため姿を消すに至った。ここに往年の名弁士の名を連ねこれを記念する」とある。
昔の浅草六区の賑わいと栄華が伝わってくる。
無声映画やトーキーという言葉を知っている自分の歳を改めて思い知る。
その隣には、「喜劇人の碑」ロッパなどの名が刻まれた碑の脇に、新しい森繁久弥の
「喜劇に始まり、喜劇に終わる」
の碑が建っていた。
変わった碑では「力石熊遊の碑」
江戸後期に酒屋と米屋の人足達の間で競われた力較べで「熊次郎」という男が、百貫(375Kg)の石を持ち上げたという。その記念に新門辰五郎などが建立したものとある。
これらの碑はそれぞれに大勢の人達の想いが込められもので、1つ1つの碑の前での建立当時のざわめきが聴こえてくるようで感慨深かった。お勧めスポットです。
東京スカイツリー
目を移すと宝蔵門の向こうに建設中の東京スカイツリーが見えたので、歩いて近くまで行ってみることにした。

宝蔵門より
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伝法院通より |
墨田川から |
言問橋から |

現在の高さは304mで今月末には、東京タワーの333mを抜くそうである。
完成は634mで、現在の2倍の高さの眺めはどんなになるのだろうか。
隅田川の桜並木は、まだであるが、一部の桜は開花していた。
春のうららの隅田川・・・・桜満開はもうすぐそこまで・・・・
帰路には、浅草に来たらいつも立ち寄る「浅草演芸ホール」で大いに笑ってきた。

驚いたことに、まだ“金馬”さんが元気で高座を務めておりました。
それをみてまた元気をもらった「浅草ぶらり」でした。
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