浅草寺・吉原・酉の市紀行
大川 成信
前日の忘年会の酔いも冷めやらぬ11月28日、浅草を故郷とする高橋さんの案内で、
鷲(おおとり)神社三の酉で賑う浅草寺界隈を散策した。
生憎の曇天なれど幸いに大した雨にもならず、午前11時に例の雷門大提灯前に9名のメンバーが集合。早速記念撮影をした後、賑う仲見世通りの出店を冷やかしながら浅草寺へ向かう。
まあ色々の店があること。浅草名物雷おこし、人形焼、昔ながらの扇子、鼈甲細工、彫金、草履などなど見ていて飽きない。
行き交う人も国際色豊か、さすが東京の観光名所と言ったところ。石塚さんはマレーシアの中学生らしき団体を見つけてご満悦。
早速仲見世に繰り出す面々
マレーシアから来た中学生たち
ひとまず浅草寺本堂に登り、賽銭を飛ばして大過なきことを念ず。隣の三社神社の総元締めなる浅草神社にも
お参りして、日本の神仏混合の不思議さを論ず。
ところでで浅草寺は何宗?と言う声も上がったので、後で縁起をインターネットで調べてみたら以下のように説明している情報があった。

***浅草寺は庶民信仰の象徴として大黒天をお祀りしています。
推古天皇36(628)年3月18日未明のことでした。今の隅田川に投網漁をしていた漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟の網に一体の仏像がかかりました。
それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めました。これが浅草寺のはじまりです。

大化元年(645年)、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立、また夢告によりご本尊は秘仏と定められ武蔵国の観音信仰の中心地となりました。
現在の本堂再建工事にあたって出土した数々の遺物から、金龍山浅草寺は少なくとも平安期には大寺の伽藍を
ここ武蔵野の一漁村に構えていたことが判り
ました。
平安期はじめ、慈覚大師の巡拝により伽藍の整備が行われ、その後一層信者の層も厚くなりました。
以来、慈覚大師を中興開山と呼んでおります。

鎌倉期以降になると将軍自ら帰依するに及び、名将たちの篤い信仰を集めていよいよ観音霊場として知られるようになりました。
江戸時代、天海僧正(上野東叡山寛永寺の開創)の進言もあって、徳川幕府の祈願所と定められ、いわゆる江戸の信仰と文化の中心として庶民の間に親しまれ、以後の隆盛をみるようになったのです。
今日、東京(江戸)の発展は江戸城構築からの徳川幕府にはじまると思われがちですが、こうして浅草というと
ころは古くから宗教的にも文化的にも江戸の拠点であった訳です。
江戸が東京にかわったときでも、文明開化の先駆的な役割を果たし、庶民の信仰と文化の一大中心地として機能してきたことも当然といえるのです***


要ははっきりした宗派はなく、長い歴史が積み重ねた信仰の象徴のようなものらしい。

再び仲見世通りへ返し、4ケ250円也の焼立て人形焼をほう張りながら伝法院通りへ右折、旧浅草ミュージックホール界隈の寄席・ストリップ・演劇場・映画館街を一回り。ちなみに3本立ての仁侠映画の入場料はシニア1,200円、女剣劇一座は1,700円也。ストリップ料金は見そびれたが、川崎さんは砂町時工場時代に良く通ったもんだといたく懐かしげ。
売られているお面と番傘。
人形焼きなどを食べた手で触らぬようとの注意書きも。
かなり寂れたとはいえ、浅草大衆芸能全盛時の雰囲気は
残っている。
映画館の前で「演神(えんじがみ)」に扮する。
演神とは劇や映画などで主役・脇役を問わず、役者達を見守り
知恵を授けた神様とある。
一回りした所で仲見世へ戻り、入口の常盤堂にて元祖雷おこしのお土産を各自購入。

さてお昼はと言うところで佐藤会長からかの有名な伊勢屋でぜひぜひ天丼を食いたいとの要望あり。
歩いても大した事ないらしいが、高橋さんの「三八会老人団体」へのご配慮で100円バス乗り場へ移動。
レトロな小型区営バス「めぐりん」の北めぐり線に乗車して吉原大門(おおもん)にて下車。
行列のできる店天麩羅の伊勢屋へ到着。居るは居るは、入口からあふれて横丁の通りへざっと30人位の行列。せっかく来たからと後ろへ並ぶ。酉の市とは言え火曜日昼間にこんなに並ぶとは尋常ではない。
伊勢屋は創業100年、現在の建物は昭和2年の建築とか。東京大空襲時にも焼損をまぬがれた木造2階建ては褐色にくすみ、「天麩羅・伊勢屋」の看板文字が金色に光って貫禄がある。
がしかし行列は遅々として進まない。窓越しに中をのぞくと20席位で、われら同年輩とおぼしきおばちゃんのグループが多く、なにやらおしゃべりしながらゆったりと楽しんでいる様子。いい加減いらいらしながらも、
せっかく並んだのだからには辛抱に辛抱を重ねて立ち続ける。向かいの蕎麦屋や隣の桜肉屋さんも開店しているが、ガラガラで客の入る様子がない。どうしてこんなに違うのか?

じっと立ち尽くすこと1時間20分、やっと我々の番が来て店の中へ。有名な天丼は(イ)(ロ)(ハ)と
3ランク。ボリュームがありそうなので大概は中の(ロ)を注文したが、カロリー制限の必要がある佐藤会長だけがなぜか大盛りの(ハ)を注文。
伊勢屋は注文を聞いてから揚げたてを出すのが主義とか、待つ間に先出しのお新香を肴に熱燗が進むこと。
すきっ腹に熱燗ですっかり出来上がった頃山盛りの天丼が到着。先ずそのどんぶりからはみ出たボリュームにびっくり。ごま油でカラッと揚げた穴子・いか・えび・ほたて・ししとうは香ばしく、たれは江戸前らしく濃い甘辛。
特に穴子はホクホクと癖がなくうまいとの評価。苦労した甲斐はあったね。
食べ終わったのが2時を回っていたせいもあるが、後で聞くとこの日晩飯が食えなかった人がかなりいたとか。
浅草観光をサポートする区営バス「めぐりん」
伊勢屋に到着するもこの行列
やっとありつけた天丼(ハ) 2,300円也
店内には老舗を思わせるレトロなポスターが掛かる
満腹のほろ酔い加減でいよいよ吉原から酉の市の鷲神社へブラブラ歩き。吉原本通りにも昔の吉原の面影は
なく、転業したと思われるトルコ風呂などの風俗店が並んで、各々入口には呼び込みのお兄さんが並んでいる。
ちなみに入浴料25,000円〜35,000円とある。
昼間からほろ酔いで団体でぶらついている老人集団には、呼び込みも声をかけてこない(もうお客として見てくれないのは男として何とも哀しい?限り)
交差点の名前としてだけ残る吉原大門。しだれ柳がかろうじて昔の遊郭の風情をとどめる。右はトルコの店々。
程なく三の酉で賑う鷲神社へ到着。宵の内から大変な人出だ。名物縁起物の大小の熊手満載の店が縦横にあふれて、あちこちで商売繁盛シャンシャンシャンの手打ちが賑やか。
高橋さん曰く、これでも昔に比べるとおとなしくなった方だそうで又びっくり。人ごみを縫って神社前で記念撮影。ん!誰かメンバーが一人足りなかったらしい。
鷲神社入り口
熊手をはじめ縁起物満載の店が並ぶ
熊手を買うと商売繁盛を祈念して手拍子をしてくれる
購入した一番安い熊手。小さすぎて果たして幸運を掻き集めて
くれるかどうか?
行き交う人ごみの中で思い思いの風景や熊手の店の写真を撮りながら無事に全員出口にたどり着いた。
これだけの人ごみの中で全員何とかはぐれなかったのは、頭ひとつ飛び出た佐藤会長の身長と当地で購入した川崎さんの白い帽子、それに楽しい浅草見物を先導してくれた高橋さんの後ろから見た特徴ある頭のお陰でした。

日比谷線三ノ輪駅で解散、各自帰路に着いた。久しぶりに江戸の雰囲気に触れた楽しい一日でした。
皆さんご苦労さん。高橋さんありがとうございました。

                             (写真撮影:石塚、佐藤)