ん十年振りの母校訪問         佐藤 幹郎(2004/6/16)

あと十日余りに迫った我が三八会北海道研修旅行に備えて、札幌観光のモデルコースを設定しようと、
久しぶりに札幌へ出る。
当然そのコースの中には北大も入っている。
というより、札幌駅が出発点だと、先ずは駅に最も近い北大から始めるのが、普通だからだ。
三八会ご一行は千歳のホテルから出発することになっているので、小生も千歳駅前に車をおいて、
千歳空港-札幌間を結んでいる、JRの電車 快速エアポートに乗り込む。

札幌までわずか29分で到着、北口を出て大学の正門に向かう。
会社に入ってから、母校には、学会で二回来ているはずだが、何年前なのは全く記憶にない。
多分、三十年以上来ていないはず。
昔は駅から構内の楡の大木が見通せたが、今はビルに遮られて何も見えない。

正門の前にあった雑貨屋や郵便局はもうない。
そういえば、東芝から内定通知が来たとき、雨の中を700mほど離れた研究室から走ってきて、
お袋にここにあった郵便局から電報を打ったことが、昨日のことのように思い出される。

正門左手にあった古本屋「南陽堂」は健在だった。
昔と違い大きなビルになっている。
ここでは、教科書をよく買った。
先輩たちが卒業してゆくときに売っていったのをここで仕入れ、半分ぐらいは半額以下で揃えた。

昔と変わらぬ正門をくぐると、あれゝ、門の中にもう一つ門が出来ている。
昔は観光バスが構内まで乗り入れていたが、今は教官と業者の車しか入れないので、検問所を
こしらえたらしい。

ここを過ぎて、緩い坂道をクラークの銅像方面に進む。
右手に札幌農学校時代の建物があり、左手はエルムの大木に囲まれた芝生、その中を川(サクシュコトニ川)が流れる風景は昔と変わっていない。


この川の水源は、近くにある植物園付近の湧き水だが、私の卒業後の札幌のビルラッシュ、地下水の汲み上げで水無川になってしまったという。
それがつい先日(4月26日)から復活したという。
北大構内を縫うように流れ、かってはサケも遡上した川を蘇らせようと、7km離れた浄水場の放流水を引いてきて流しているという。人工の川である。
よく見ると、川底は砂利で固められ、水深も浅い。
だが、無いよりはましか。

古河記念館を過ぎて、右に曲がると、わが学舎、理学部が見えてくる。
煉瓦色の壁には蔦が這い、貫禄のある姿は昔と変わらないが、新館が後ろに建ち、表札が博物館に変わっていた。





この旧理学部の脇を通り、新館の玄関前を少し行くと観光客に人気のあるポプラ並木の入り口に着く。

樹齢90年を越え、内部が空洞化し、毎年歯が抜けるように倒木してきたが、まだ50本ほど残っており、入り口から見る限りでは、巨木並木の景観はまだ何とか保たれている。

現在は、残念ながら、危険防止のため、並木の中には入れない。
川の流れる中央ローン                   昼寝に絶好の場所だった                               
実は前身の札幌農学校から創立125周年を過ぎた北大には深刻な問題がある。
樹齢100年を越えた多くの木が、数年前、樹木医により、倒木の危険ありと診断された。

多くの市民の憩いの場でもあるキャンパス内で事故が起こる危険性を憂慮した大学側が
伐採計画を持ち出し、教官、学生、市民を賛成・反対派に二分する大論争に発展したのだ。

すでに、上の写真の別の場所のポプラが切り倒され、今後ポプラだけでではなく、北大のというより
札幌のシンボルとも言うべきエルム(ハルニレ)の木にも、伐採の時が迫っているのだという。
今後どうなるのだろうか。



ポプラ並木とは直角の方向に、少し歩くと農学部の試験農場に出る。
今日は雲一つ無い快晴だ。手稲の山々もはっきり見通せる。
しかし、にょっきりと高層マンションの姿があり、農場の周りも住宅で囲まれてしまっている。
長い年月が過ぎたのだ。
楽しそうに畑仕事をしている学生の姿は変わらないが、、、、、

ここから、クラークの銅像の方向へ引き返す。
われわれの頃と変わったことがまだまだある。
大きな森の中に校舎が点在していた当時に比べ、建物の数が著しく増えたことだ。
まだまだ緑がふんだんにあるとはいえ、様変わりだ。
もう一つは、通りの夥しい自転車の数。
校舎の入り口は、どこも自転車で埋め尽くされている。
当時は、北門から入り、自分の教室までテクテク25分かけて歩いた。
やはり、今の時代はその時間を許さないのだろう。

変わらないのは、絵を描く人が多いこと。今日は天気が良いせいか、ちょっとの間で七人の「画家」を見かける。
全く違う方角に三つのイーゼルを立て、交代に描いている人もいる。


クラーク先生に久しぶりに挨拶をする。
銅像の裏手は、中央ローン。
くつろぐ学生に混じって、幼児を連れた主婦、外人のカップル、弁当を食べるサラリーマン。
ここも昔と変わらず、市民の憩いの場だ。

クラーク銅像前から学生会館(クラーク会館)へ向かう。
食堂と大学生協があり、学生生活の中心だった。
今は左手に学生生協だけが別棟の建物を建てて独立している。

ちょっと中に入ってみる。ちょっとしたスーパー並み、いや、それ以上だ。
豊富な家電製品、パソコンのハードやソフト、携帯電話を売るコーナーから眼鏡屋や旅行代理店まである。

昔は本屋が主体で、片隅にDPEや冬の間だけ防寒具を売るコーナーがあり、家電と
言っても電気スタンドや粗末なラジオを売っているだけだった。
二年になったとき、アルバイトでやっと五球スーパーラジオを手に入れたっけ。

ここでウーロン茶を買い、小生も皆に混じって芝生の上で一休み。
そういえば、1960年6月15日、安保闘争で樺 美智子さんが死亡し、次の日は、興奮した学生達でこの芝生の上が埋め尽くされた。
44年も前の今日だった。私もその中の一人だった。

あゝ、遙かに遠き日々よ。





農学校時代の建物(現在は古河記念講堂となっている)
教養部の教務課があり、アルバイトの斡旋を受けに毎日のように出入りした