金沢の出初め式
川崎 常元
今日(1月9日)は、金沢の消防出初式が行われました。
金沢の消防団は、「加賀鳶」伝統を引き継ぎ、各校下の消防団は、校下の有志で構成され、ボランテアの人々です。消防車も校下の人々の寄付で購入します。
我が瓢箪町の消防車も昨年校下の各家庭が5,000円ずつ寄付し更新しました。

公務員は、消防本部、主な地区に配置されて居るだけで少数です。
消防団員は、夫々勤めを持っているため、出初式は、1月4日で無く、正月第一日曜日に開催されます。
今年の出初式は、雪吹雪の中、我が家の近くの彦三大通りに各分団の消防車60数台が整列し、9時に一斉にサイレンを鳴らしながら、行進を開始しました。
行進は、全て信号無視です。(これは、年一回の行事です。)
その行進は、金沢城新丸広場まで、続きます。
新丸広場で大勢の市民が見守る中、出初式の式典が行われ、各分団の観閲行進、子供達が中心になって歌う木遣くずしに合わせ、44本の梯子が立ち、梯子登りが勇壮に行われ見ごたえがありました。
(梯子の上の演技は、44本とも全て同じ動作で、揃っており、約10分間、演技されます)
次に、雪吹雪の中、各分団による裸放水が行われました(60数本)。
これも豪快でした。
ここで、出初式の由来と加賀鳶、梯子登り及び、木遣くずしについて説明します。

出初式は、万時元年(1659年、四代将軍家綱の時代)1月4日、上野東照宮の前で老中稲場伊代守正則が「定火消」の顔見せの儀式が行って気勢を上げました。これが出初式のはじまりとなり、享保4年(1719年、八代将軍吉宗の時代)に大岡越前守によって、「いろは48組の町火消し」が創設され、定火消しにならって「初出」と呼ぶ儀式を行うようになりました。

加賀鳶は、江戸の前田藩お抱えの火消しの事です。加賀鳶の勇猛果敢な行動や可憐な装備など江戸の町民に良く知られた存在で、大名火消しと言えば加賀鳶を指していました。
金沢城下では、三代藩主利常が金沢城下82箇所に火の見櫓を立て火災の早期発見に努め1661年に「定火消し」制度が作られ、同じ頃、民間の火消しが作られていました。
その加賀鳶の流れが金沢の消防組織に受け継がれています。

加賀鳶梯子登りは、日本の梯子登りの元祖といえる物です。江戸時代火事現場において消火作業を行う時重宝するのは「はしご」です。火消しは、高いところで作業するので、度胸をつける訓練を兼ねていたといわれます。江戸時代において「梯子登り」を最初に行ったのは、加賀鳶と言われています。
日頃鍛えた身軽なしぐさ、熟練した技、それに威勢と気迫のこもった動きは、人々を大いに喜ばせました。

加賀鳶のはしご登りが披露されるときに歌われるのが加賀鳶木遣くずしです。
この木遣くずしは、曲(節回し)は、江戸の木遣くずしと同じです。

一)ハアーエー 加賀の鳶だよ 百万石の纏振るにも 火柱こえて 男伊達なら 命をかけて エンヤラヤサノ  ヨーイサ ヨイヤナ エンヤラヤレコノセ サノセ アレワサ エンヤラエー

二)ハアーエー 襟にゃ加賀鳶 出初めの時は勇み裸に 梯子を立てて 夢の枕や あら吹き流し エンヤラヤ サノ ヨーイサ ヨイヤナ エンヤラヤレコノセ サノセ アレワサ エンヤラエー

三)ハアーエー 加賀の華だよ 知らせの 半鐘ジャン ジャン ジャン と鳴りゃ 纏を持ちて梯子・鳶口   気合を揃え エンヤラヤ サノ ヨーイサ ヨイヤナ エンヤラヤレコノセ サノセアレワサ エンヤラ エー

四)ハアーエー 木遣く音頭に 三団揃え祝い祭りや 百万石の 心あわせて 火事場の守り エンヤラヤサノ ヨーイサ ヨイヤナ エンヤラヤレコノセ サノセ アレワサ エンヤラエー