小野さんの蕎麦打ち
佐藤 幹郎
七月はじめの某日、東京へ出かけた時に、小野さんが蕎麦を打って食べさせるから来ないかとの有り難いお誘いあり。

蕎麦打ちが小野さんの趣味のひとつであること、そして、車に道具一式を積んで亡くなる寸前のお義父さんの許に駆けつけ蕎麦を打って食べさせてあげたという美談なども伝わってきてはいた。

麺好きを自認する手前、一も二もなくお誘いにのり、横浜は青葉台のお宅を訪問した。

着くなり、何はともあれ直ぐに蕎麦打ちに取りかかるという。
机の上に捏ね鉢が据えられた。かなり気合いが入っている様子。
工程が進むにつれて分かったことだが、蕎麦打ちは「格闘技」だった。
スタートの前に気合いを入れて集中力を高めるのは極く極く当たり前のことだったのだ。
奥様から始業前の服装チェックを受ける
捏ね鉢を前に「いざ」の気合いが伝わってくる
蕎麦打ちの大まかな工程は
(水廻し)>(捏ね)>(延ばし)>(切り)>(茹で)
と進むことを教えてもらう。
これらの工程で最も重要なのは水廻しだという。そば粉の一粒一粒にくまなく水を行き渡させる工程で、これが
うまく行かないと出来上がった蕎麦がぶつ切れにななるなど、味以前の問題が起こってしまうという。
そば粉に水を加え、いよいよ水廻しのスタート
水を数回に分けて加えながら、手が目まぐるしく動く。指先が主役。
素人目にはいたずらに時間をかけて粉をただ掻き混ぜているだけで、さっぱり水が浸透していないように見える。
やがて指先の作業から、両手の平に挟んだ粉を揉みしだく動作に入ると、やっと小さな固まりが見えだした。
しかし、私には水分がほとんどない単なる粉の固まりにしか見えないのである(内心思った。失敗か!?)

ここで小野さんから、「最後の水を加えます」の説明あり。
ほんの数滴垂らすような極めて少量の水で、粉っぽい小さな固まりの色が一変するのにはびっくり。
さらに作業は進み、小さな固まりは「おから状」へと変身、素人の私にもやっと生地の素が出来つつあるとの実感が得られた。
そば粉を揉みしだく。額にはすでに汗が噴き出す。
最後の水を加え、水廻しも最終段階。生地の形が見えてくる。
続いて練りの工程への入る。おから状になったのをひとまとめにし、両手で捏ね鉢に繰り返し押しつける。
腰を使い、両手に全体重をかけ、まさしく格闘技が始まった。
始めはボサボサに見えた固まりの表面がみるみるしっとりと滑らかになってくる。
きめ細かな綺麗な生地が出来上がったかなと思ったら、まだ練りの仕上げがあるらしい。
生地を三角錐状にまとめ、これの尖った先を鉢に押しつける作業を、何回も何回もしつこいぐらいに続ける。
生地の中にある空気を完全に外に出すための工程だという。
綺麗な肌のそば玉が完成しました。練り工程の終了です。
「力仕事」が続いたので、ここで一休みかと思ったら、大きなのし板の登場です。蕎麦打ちは開始したら
茹で上げるまで一気呵成に工程を進めなければだめ、時間との戦いなのだそうです。
のし棒が目まぐるしく動き生地が薄く延ばされてゆきます。

不思議なのは、丸いそば玉をただ棒でのしてゆけば丸いままで薄く延ばされてゆくだけなはずが、いろいろな
方向からのし棒を操作することでだんだんと矩形に変わってゆくところです。
このあたりが腕の見せ所のようです。

四角に薄く仕上げられた生地は幾重かに畳まれていよいよ蕎麦として細く切り出す工程へ入ります。

三角錐状にまとめられた生地
頂点を鉢に押しつけて潰す。これを何度も繰り返す。
大きなのし板の上で棒が自在に動く。
四角に整えられた生地が畳まれた状態。あとは切るだけ。
凄い包丁が登場しました。
生地の上に駒板というガイドみたいなものを載せ、これに沿ってサクサクと慎重に切ってゆきます。
切るときに麺の太さにばらつきがでると、このばらつきが直接茹で上がりに影響してくるのだそうです。
だから、素人ほど良い道具を使わないといけないのだそうです。

これが麺切り蕎麦包丁。
素人の私が出来映えをチェックできる唯一の工程?
見事に麺の太さが揃っています。
茹でるのは奥様が担当するのかなと思っていたらそうではありませんでした。
「蕎麦打ち職人」は湯加減、茹で上げまで手を抜くことはありませんでした。
最後は冷水に晒し、いよいよ出来上がり。
盛りつけられた蕎麦が食卓の上に置かれると、はや独特の芳醇な香りが漂ってきます。

ご主人が蕎麦を打っている間に、奥様が準備された蕎麦つゆ、大根おろしなど数々の薬味、それに揚げたての
かき揚げの天ぷら各種が並べられ、いざいざと思ったら小野さんから「最初に、何も付けず蕎麦だけ食べてみて」との一言有り。
香り高い蕎麦を口に含むと何とも言えない味が広がる。なるほどこれが本格的な蕎麦を味わう第一歩か!

あとはこれまた大変美味しい蕎麦湯とお酒を交互にいただきながら、箸は進む。
結局のところ三人前ほど平らげて満腹満腹(カロリー制限中の身なのに大丈夫?いやいや蕎麦は高血圧には良いと聞いている)

小野さんが蕎麦打ちを始めたきっかけを奥様から聞くことができた。
なんと奥様がここ青葉区の区民サークル活動の一つである「横浜蕎麦打ち倶楽部」への入会を申し込んだというのである。
現役を引退した後に、ご主人が外との交友の場が狭くならないようにとの配慮からだという。
なんとも羨ましい愛情物語ではないか。

小野さんのことだから、最近話題になる「定年老人引きこもり症候群」などとは無縁ですよ、、、などなどこれからの人生いかに生きるべきか。 奥様も加わった楽しい会話が続く。

美味しかった。楽しかった。ありがとうございました。すっかり夜の帳が降り、静けさが支配する青葉区のお宅を退去しました。