久留勇さんを偲んで   〜冥王星の彼方に〜
                         
                       (文と写真)佐藤幹郎


        
久留さんが(タマ)(一セブ)長時代の宴会でコンパニオンと
日吉寮
久留さんと出会ったのは新入社員として日吉寮に入った時だった。久留さんは我々の一年先輩であるが、当時は一年先輩が新入社員に助言をしたり面倒を見るために寮生として一緒に生活を共にするというシステムがあった。
日吉寮はA〜D棟の4棟5階建て、各棟各階に先輩がひとりづつ合計20人いたことになる。
わたしはB棟3階だったが、洗面所は共同だったので、深夜一杯機嫌で出会うことが重なり、言葉を交わすようになった。

我々は東横線日吉駅から通勤していたが、ある日会社の帰りに日吉駅で久留さんとパッタリ出会った。
駅から寮まではたいていは徒歩で帰っていたので、駅前の商店街を肩を並べて歩いていると
「お前、麻雀するか?腕はどのぐらいだ?」
と訊かれ、
「まぁ、まぁそこそこ打てますよ」
と答えると、
「じゃ〜これから慶応ボーイと一卓囲むか」と誘われた。

慶大の日吉校舎は経・法・商・理工などの7学部の一、二年生が通う一大キャンパスである。
「お前、これから雀荘でたむろしている慶応ボーイを相手にするが、奴ら金持ちボンボンだから、
負けると我々の給料ひと月分軽く飛ぶけど大丈夫か?」
当時の電機メーカーの安給料は有名で、われわれは手取り月2万円にもならない時代。
必死で打ち、ほとんど負けず、時には大勝ちして、日吉の飲み屋でふたりで勝ちどきをあげた。
「日吉はあまりいい飲み屋がない」というので、武蔵小杉まで戻って祝杯を挙げたこともあった。

マイカー
ある朝、朝寝坊をして、今日も遅刻かと、寮を飛びだそうとしていたら門のところで、車の中から
呼び止められた。研究所に通う同期のH君が運転するボロ車に久留さんが乗っている。
会社まで乗せていってくれるというので、飛び乗った。
しばらく走ると、H君から久留さんに運転が変わった。
「もう大丈夫ですか?」とH君が訊く。
「路上教習も5時間以上乗ったから」と久留さん。
「えっ!久留さん、まだ免許ないんですか?」
と訊くと、
「いいから、お前は後ろからパトカーが来ないかよく見張っていろ」
と言われる。この車は久留さんのもので、免許取るより先に買っていたらしい。

合弁会社
時は移り、私はメモリ事業を担当するために本社勤務となった。
久留さんは東芝からモトローラ社へと移り、日本モトローラ社の社長に就任した。
二人に課せられたのは東芝とモトローラが作った半導体製造の合弁会社の立ち上げであった。

仙台市に工場を建設するところから始まった合弁事業であったが、当初は日米の考え方や文化の違いから、いろいろ小さな揉め事みたいなことが頻繁に起こった。

そんな時、久留さんから提案があった。
「いちいち会議を開いて討議していたら、どうにもならない。お前のとこ(浜松町本社)のすぐそばの中華料理屋に部屋を取ってある。そこで、必要な時は何時でも、お前と俺の二人だけで話をしよう。二人だけでは駄目な時は、おたがいに担当者を1人だけ連れて会うようにしよう」

それからは、毎週のようにその店に入り、料理をつつき一杯やりながら議論し、ほとんどの懸案事項は二人で解決方法を決めた。
毎月の仙台での経営会議、6ヶ月毎のアメリカでの役員会議で、二人は外野席に座り、何も発言せずニヤニヤ笑いながら会議の行方を見守ったのを思い出す。

                               ご冥福を祈ります