喜寿記念 佐渡の旅(一日目)                
                          (文)小野智史 (写真)小野智史、佐藤幹郎


東芝の同期(昭和38年入社)の「三八会」も、今年で55年目になったが、この間、実に数多くの会を開催し仲間と楽しい時間を過ごしてきたことは、大いなる喜びと感謝の念で一杯であるが、今回の旅は、仲間が「喜寿」を迎えたことによる記念の旅である。

石塚幹事長が、年初より構想を練り、更に佐渡にお住まいの中川哲昌先輩の多岐に亘る御親切な気配りを頂き、周到な準備を何度も繰り返し尽力された御蔭で、今回の旅の実現に漕ぎ着けたことに心から感謝し、旅のスタートとします。

 5月30日(水)は、東京駅新幹線改札口 8:00分集合・・こんな早い時間の集合はと懸念したが、77歳過ぎた日頃から元気な面々のこと、ゆっくり寝ていられるわけが無く、参加者9名がはやばやと7時45分頃には全員集合である。


 新幹線ホームで乗車を待つ
 

東京駅8:24分発マックスとき307号で青春(?)後期高齢者の佐渡への旅がスタートした。

「新潟に行くのに長野は通るんだよね??」などの驚くべき会話が始まり、最初から知らないのか、はたまた認知症気味
なのか。 これから先が思いやられるスタートではある。
新潟駅10:28分無事到着しタクシーで、新潟港に向かう。タクシーの中で新潟名物の会話になったが、「新潟ブルース」
「新潟の女」などなど。予備知識の基がカラオケだけ? これを聞いた運転手が苦笑している。

新潟港からは、「ジェットフォイル」に乗って佐渡の両津港へ。水中翼船で時速80kmで1時間(フェリーの場合は2時間30分)の船旅だが、天気にも恵まれ、実に静かで快適な乗り心地であった。船の中で、「世界遺産を目指す〜金と銀の島 佐渡〜」の上映があり、いよいよ佐渡への期待と旅の楽しみへの気持ちが盛り上がった。

 
 ジェットフォイル「すいせい」            両津港が見えてきた

両津港に12:35分無事到着、早速、中川哲昌先輩の出迎えを受ける。お目にかかるのは、数十年ぶりであったが、お会いした瞬間、一気に現役時代の懐かしい会話に戻り嬉しい限りであった。先輩は我々の為に、綺麗な「佐渡を世界遺産に」のファイルの中に、「佐渡ミニガイド」「佐渡さんぽ」「良寛塾」などの自筆も含めた資料を用意して下さり、各人に握手と共に手渡してくれた。

 
 中川先輩と再会            中川さんが用意してくれた佐渡歴史ガイド

中川哲昌先輩の名刺には、「佐渡一の宮・度津神社崇敬者会会長」「佐渡を世界遺産にする会・副会長」など会長・副会長・顧問などの役職名が多数列挙されており、地元の名士で、現在も御活躍されていることが判り、流石!我等が先輩と尊敬の念を抱くと同時に、お元気な姿に励まされた再会でした。

心の籠もったお出迎えを受け、一同感激。

昼食は、中川先輩の案内で両津港埠頭ビルのレストラン「よろこんで」へ。

食堂に入るなり、予想もしなかった出会いが待っていた。なんと営業などで活躍された加治先輩が同じ場所で食事中。
やぁ、やぁと早速記念写真を撮るひとも。


 奇遇とはこの事なり

オーナーお勧めの「お刺身7品御膳」と「焼き魚定食」を各人で注文し会食。最初の佐渡での食事であったが、実に新鮮で美味しく、皆舌鼓を打った。

 
         にぎやかなメニューと食事風景

食事の間にも、中川先輩の佐渡の紹介話が熱心に語られ、我々の佐渡への理解が次第に拡がっていった。
佐渡の人口は、約55,000人、従来の9市8町から現在の1島1市になり、面積は東京23区の1.5倍あること、大佐渡と小佐渡に別れ、最高の山は、1,172mの金北山であること、郷土芸能の「鬼太鼓(オンデコ)」は、各集落毎に有り120集団もあること、、、などである。

昼食後、中川先輩の車(3人)と手配して頂いた「ジャンボタクシー(6人)」に分乗して、いよいよ佐渡観光の旅に出発した。自然豊かな景色を眺めながらのドライブでは、随所に美しい花が咲いていて感動したが、「金と銀の島」は、「美しい花の島」でもあった。1,700種近い南北両系の植物が自生すると言われる花の島佐渡、本州では2,000m級の標高がないと見られない山野草の群生が、佐渡では1,000m以下の標高でも見ることができる独特な環境下にあることから日本の縮図とも言われるシラネアオイ、トビシマカンゾウ、カタクリ、などが咲き乱れる花の島佐渡が、我々を迎えてくれた。

車は一路、真野湾へ向けて快走、途中高台に寄り両津市街や加茂湖などの眺望を楽しんだ後、長浜では、「人面岩」と対面、ゴジラ岩とも呼ばれ、火山性隆起岩のなせる独特の表情に一同感心納得。羽茂(ハモチ)へ向かう途中の西三川では、名産のりんご、洋梨、柿(おけさがき)の木々を見ながらの道中となったが、特に洋梨は、「ルーレクチェ」という銘柄が有名で、1個8,000円もするのだそうで驚いた。また西三川は、佐渡で最初に金が採れたところだそうである。


  人面岩の前で

車は、小木浜に向かい、「日本アマチュア秀作美術館」に寄った。森繁久弥が長い間館長を勤めたこの美術館には、ウインストン・チャーチルや夏目漱石などの絵画などが展示されており一同感嘆の声を上げながらの芸術鑑賞となった。芸能や伝統伝承の豊かな佐渡ならではの芸術へ理解の深さをあらためて感じる美術館であった。

 
 チャーチルの絵                   森繁久弥の絵

そこから宿根木(しゅくねぎ)に向かい佐渡名物「たらい舟」に乗ることになった。

「たらい舟」を製作出来る人は、もう金子さんと言う人唯一人との話をジャンボタクシーのドライバーの長田圭希さんから聞いていたが、宿根木で乗った「たらい舟」の船頭さんが偶然にも金子さんであったのには、驚いた。出逢いはいつもドラマチックであることを実感。
「たらい舟」は「はんぎり」とも呼ばれ、普通の樽を半分に切って舟にした由来によるとのこと。舟は心地よい海風を感じながら天然の岩礁を廻り、ゆったりとした一時を過ごすことができたが、岩礁そのものは1400万年前に出来た「水中火炎岩」で急激に落ち込む水中の深さを利用し「北前船」が停泊できたとのことで、随所に停泊用の杭(船つなぎ石)が残っていた。水中眼鏡から見た海の深さと歴史の深さを感じた「はんぎり」の乗船ではあった。

 
 「はんぎり」袢纏を着た船頭さん            船つなぎ石


 たらい舟に乗る面々

次に宿根木の歴史的町並み地区を訪れた。多くの船大工や廻船主などの伝統的建造物が残る町並みが大切に保存されていて、どこか懐かしさに溢れていて心地良さを感じた。中でも「塩」の看板が掛かった「三角家」は、吉永小百合のJR東日本の
TVCMで有名になったとのことで、全員で記念撮影をとった。



 宿根木にて

そこから近くの「佐渡国小木民族博物館」へ移動、安政5年(1858年)に建造された千石船「幸栄丸」を復元した
「白山丸」(白山神社から命名)の展示館へ。建材の木が雄大堅固で全長23.75m、帆の大きさが155畳分もあるこの船が
日本海を航行する姿を想像するだけで勇壮な気分に浸ることが出来た。先人は何とスケールがデカかった事か!


 白山丸の前で

次に小木海岸にある「矢島・経島」へ。
日蓮聖人の赦免状を持って佐渡に渡ろうとした弟子の日朗が漂着し読経して一夜を明かしたと伝えられることに由来した
「経島」
お光・吾作の悲恋物語で聞く者の涙をしぼった浪曲「佐渡情話」で名高い、赤い橋で結ばれた「矢島」
これら二つの景勝地を見物し今日の観光を無事予定通り終了した。

 
 矢島の岩礁を行く                       お光の碑が建っていた

このころになると、メンバーの疲労もピークであったが、御苦労様でした。
特に会長、小野山さん、荒木田さんの頑張りには敬意を表したい。

いよいよ今日の宿泊所の「国際佐渡観光ホテル八幡館」へ到着。中川先輩、ジャンボタクシーのドライバーの長田圭希さんお世話になりました。


 源泉かけ流し温泉「八幡館」にて開宴

部屋割りを済ませ、天然温泉の大風呂に入り夕食は中川先輩と一緒に楽しい宴会となった。

開宴に先立ち、中川先輩に、三八会一同から、佐藤会長が準備用意した品を目録と共にお渡しした。
夕食メニューは、大きな紅ズワイ蟹や近海産のお造り、魚介網焼き、佐渡煮しめ、寿司など豪華な品々が並んだ。


 三八会からのお礼の品の目録を幹事より送呈

全員生ビールで乾杯のあと談笑。中川先輩の豊富な知識と経験の話の数々・・・今や民俗学の権威と感じると同時に、名士としての数々の役職に就いている理由が納得できた。

その他のメンバーの話は、後期高齢者特有の健康維持、持病、介護、そして薬の話から墓の話まで及び、実に身近な現実的な話になっていった。

今日だけを振り返ってみても各所での集合時間になっても必ず一人足りないことや物の紛失も多く、もう認知症の認定範囲まで入っているような面々であるが、酒がすすめばそんなことはどうでもよく、元気なこと!何より嬉しい限りである。

食事後、大部屋の舞台で本場の甚句とおけさを鑑賞。
本場の歴史と伝統が感じられる素晴らしい演奏と唄であった→動画を見る

かくして、佐渡ヶ島上陸の日の一夜は更けていった。


                           →二日目へ