今から16年前、1966年に第4回の三八会作品展が行われた。そのとき、小澤さんが「無事」という
書を出品された。
書に何の知識もない私は、会場で彼に「これは何と書かれているか」という質問をした。
「無事」ですと小澤さんは答えた。私は「無事」の「無」という書体が読めなかったのだ。
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「無事」と書かれていることを教わり、その上でさらに私の無学をさらけ出す次の質問をしたのだった。
「何事もない平穏な状態を表す言葉を何故あえて書いたのか?」
小澤さんは「無事」の出展を禅宗、臨済録の中にある「無事是貴人」であると教えてくれました。
自らが仏となる道を求め、ひたすら修行を続けた結果、最終的に到達する心境が「無事」ということ
らしい。
私は当時、父母の墓を札幌に移す計画をしていた。どんなデザインのお墓にするか、墓石に何を刻むか、
いくつかの霊園を訪ねては色々なお墓を見て回っていた。
宗派によっては、「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」などあるが、とくに決まりはないようだ。
思いを込めた漢字や単語、短いメッセージなどいろいろある。
「愛」、「偲」、「心」、「絆」、「感謝」、「誠実」などなどであるが、どうも今ひとつピンとこない。
かといって平凡な「佐藤家之墓」にはしたくない。
そんなときに小澤さんの書「無事」を思い出した。これにしよう。
2007年、私は札幌市真駒内の霊園に墓地を購入し、墓を建立する計画を実行に移した。
墓石には「無事」と刻むことを決めていた。そして我が家は曹洞宗だからぴったりだろう。
早速、小澤さんに揮毫をお願いした。作品展の時とは異なり、無事の「無」は素人でも読める
書体をお願いした。
快諾いただいた小澤さんから年末に次のような揮毫を頂き、墓石を制作する石材店に提出した。
小澤さんの揮毫(2007年12月)
当時、国産の適当な石材が入手困難で、結局中国から輸入することになった。墓石の製作は進んだが
墓の敷設工事は霊園が雪に閉ざされているため、翌年(2008年)の5月になった。
工事中の墓
石に刻まれた「無事」
完成したお墓
2008年6月に行われた開眼法要
開眼法要でお経をあげてくれたお坊さんが、
「禅宗で最も大切な無事という言葉を刻んだお墓を初めて見た。その上、字がまた素晴らしい」
と言われ、
「この世には、幸せなことと不幸なこと、思うようにいくことと思うに任せないこととが何時も共存する。
ひとは幸せや、うまくゆくことだけを求めるから、悩みや争いが起こる。
素直に何れをも受け入れる心構えをもって生きれば、その先には、もっと安らかな境地が開ける。
それが無事なのです」
と改めて無事の意味について説法して下さいました。
私はたぶんこのお墓に入ることになるでしょう。
「一生この人には頭が上がらない」とはよく聞く言葉ですが、私は死んでも小澤さんには頭が上がらないのです。