東芝日吉寮の思い出   佐藤幹郎
                 
                       写真提供:takumi okuさん

我らの山八会で、懐かしの東芝日吉寮の跡地を訪問することになった。
いずれ誰かがその訪問記を書くのだろうから、日吉寮の写真がないかとネット上を
彷徨っていたら、ラッキーにも東芝社員の方のwebサイトでその画像に出会えた。
私は北海道在住なので、残念ながら参加出来なかったが、使用を許可いただいた写真を眺めているうち、東芝に入社後2年余を過ごした日吉寮の思い出が色々湧き上がってきた。
思いつくまま書いてみる。


                         
2003年5月25日撮影

この懐かしい日吉寮の写真を眺めていて気が付くことが二つある。

第一はツツジの咲いている植え込みの場所である。
この写真ではこの植え込みの下はたぶん暗渠になっていて、下水が流れているはずである。
われわれが寮生の時は、この場所は幅1メートル、深さ1.5メートルほどの下水溝が走っていて、蓋がされていなかったので、夜遅く酔っぱらって帰ってきた寮生がしょっちゅう落ちるというトラブルが起きていたものだ。

第二は各部屋のベランダにエアコンの室外機が設置されていることである。
1989年に設置が始まったというが、勿論われわれが入寮した時はエアコンどころか暖房もなかったのである。
さすがに、入寮して一年後の秋に暖房をどうするか、という問題が持ち上がった。
日吉寮は学生寮のように自治寮ではないが、寮委員というのがいて、何か問題があるときは本社の人事部、寮委員、寮管理人の三者会議が行われ、ここで懸案事項を決定する仕組みになっていた。私も寮委員のひとりだった。

ある日の夕食後、この三者会議が行われ、会社側から「会社の指定する型番の電気ストーブを各部屋に1台のみ使用すること。電気ストーブの型番指定と、1台としたのは、日吉寮の受変電設備の容量によるもの。また石油ストーブは火災の危険があるので使用を禁止する」というものであった。

寮生の代表からこんな反論が飛び出した。
「会社の指定する電気ストーブでは手あぶり程度の暖しかとれず、暖房とは言えない。石油ストーブはすでに東芝も発売しているが、それが危険なのか?」
また別の一人からは、
「私は世界一安全だという英国アラジン社製の石油ストーブを実は、実家から持ってきて、去年から使っているがそれはどうなるのか?」
結局この日は結論が出ず、後日に持ち越しとなった。

一週間ほどしてもう一度話し合いが行われたが、会社側は何と寮委員の上司(主任級)を連れて現れたのである。これ以上石油ストーブを主張したら、上司の方から説得する作戦のようだった。
仕方なく小さな電気ストーブ導入が決まった。
何せ、入寮した年に、「日吉寮で最初にして最後の寮祭」を強行した連中を説得する作戦を人事部は練ってきたに違いなかった。

翌年、私は日吉寮から菊名寮へと移った。菊名寮は1人部屋ではあったが、3畳間程度の狭いスペースに作り付けのベッドと机がある別名「独房」と呼ばれている所だった。
日吉寮で買った小さな電気ストーブは菊名寮では何とか暖がとれたのであった。

   

上の非常階段にも思い出がある。
日吉寮での毎日の入・退寮のルーティンとして、管理人室のガラスのパネルに掲げられている名札を返すことが決められていた。そして出張や外泊のときは事前に寮長に届け出ることになっていたが、いつもさぼっては寮長に叱られていた。

もう一つ重要なことは、朝出るときに寮長の部屋の入口のドアにさりげなく張ってある札を見ることだった。
札にはA〜Dのいずれかの文字が書いてあった。その意味は門限の23時を過ぎると
玄関は施錠されていて入れないが、A〜D棟の5階のどれかは非常口は鍵がかかっておらず、Aなら今夜はA棟5階の非常口が空いているという意味だ。
門限を過ぎたものは、表示されているいずれかの棟の非常階段を上り、5階から入れば良いということである。
私はB棟3Fだったから、非常口の空いているのが、AまたはB棟のときは、わざわざ玄関まで出向いて、名札をひっくり返すのが億劫なので自分の部屋に直行し、次の日の朝にまたまた寮長に睨まれる羽目となった。

今日どこの棟の非常口が空いているかを確認しないで、門限を超えて帰寮したときは大変だ。
非常階段をD棟5階まで昇りNG、C棟もだめ、やっとB棟が空いていて靴をぶら下げて自分の部屋にへたり込んだということもあった。誰かに訊こうにも、今のように携帯電話もない時代の話ではある。