私は80年近い生涯で3度大きな地震を経験した。
1度目は1952年3月4日の十勝沖地震で、震度は5だった。
その時は小学6年生で、すでに遠い記憶の彼方へ去ろうとしている。
2度目は2003年9月26日平成15年十勝沖地震で震度は6弱だった。
この時の経験と、その後2011年に起きた東日本大震災から、意識して震災から我が身を守る対策を
してきたつもりだった。
しかし、今回の地震で、それらの経験や対策が効果があったケースと、未対策に終わったケースがあったことを思い知らされた。
その反省も込めて、少しはこれを読むひとの参考になればと思い、駄文を書き散らしてみることとする。
9月6日 3:00am
15年ぶりの大地震、それは突然やって来た。
2018年9月6日、午前3時、のどが渇き目が覚め、居間のテーブルの上のコップに麦茶を接いで口をつけようとした瞬間、
轟音とともに椅子ごと2メートルほど飛ばされた。飛ばされたというのは大げさだが、理由がある。
拙宅の椅子は、老人が使用しやすいとの家具屋の店員の推薦で、キャスター付きの製品を購入して使用していたのである。
思わず床に取り落としたコップが割れた音と同時に停電した。真っ暗の中、揺れが大きく激しくなり、椅子に座ったまま隣室の壁のとの間を、ジェットコースターにでも乗ったような状態で2往復ぐらいする間に、やっとテーブルにしがみつき、椅子が動くのを止めた。その間、台所で食器が落ちて割れる音が連続して聞こえ、いよいよこれで一巻の終わりかと思った。
揺れが収まった後、2階に寝ている家内に声をかけ、無事を確認した後、先ずは外に出て庭に駐めてあるマイカーのエンジンをかけた。車は無事だった。
ラジオから地震速報が流れている。「この地震による津波の心配はありません」と言っている。
これではじめて「助かった」と思った。東日本大震災は大地震の揺れが収まった時に、それで安心した多くの人が、その後に襲来した津波に呑まれたのだ。
地震が収まった時に第一に考えたのは、これだけの揺れがあったのだから、大きな津波が来るだろうということだった。何しろ拙宅の建っている場所は海抜7メートル。津波を考えたら即刻高いところへ避難しなければならなかったからだ。
車のラジオをTVに切り替えると、震源地は内陸で我が家にきわめて近いところだった。震度は6強ということだった。後で調べてわかったことだが、津波を避けて逃げようと考えていた場所は今回の地震で山崩れが起き、多数の死者を出した厚真町の方角だったのは皮肉なことだ。
いずれにしても、地震が収まった後真っ先にするべきことは、津波の襲来とそれを避けるために逃げる場所と移動手段を普段から決めておくことであろう。今回は東日本大震災のおかげで、そのことが出来たと考えている。
もう一っ2003年の地震の経験が生きた例がある。15年前も停電になったので、とりあえず車のラジオで情報を得ようとしたが
すぐには出来なかった。車のキーはいつも玄関の下駄箱の上の皿の中に置いてあったが、地震で下駄箱の中身や傘立て、鉢植えなどが靴の上に散乱し、暗い中同じ場所に置いてあった懐中電灯を見つけるのに時間がかかってしまった。
結局、散乱した玄関で車のキーを見つけられたのは夜が明けてからだった。
この時の経験から、車のキーは常にズボンのポケットに入れて持ち歩くようになった。
今回はすぐ車に向かうことが出来た。
夜明けとともに携帯電話に兄弟や友人などから次々に見舞いの電話が入ってくる。何故か通信状態は非常に良好だ。
試しにスマホでインターネットに繋いでみると、これも快適に通信できているではないか。
いままでの小生の常識では、大きな地震などの災害の時は電話やインターネットがつながりにくくなると信じていたが
今回はどうもそうではないらしい。
この朝電話をしてきたNTTに勤務していた知人から聞いた情報では、スマホの爆発的な普及から、キャリヤー(NTT、ソフトバンク、Auなど)のネットワークの「太さ」が改善され、加えて東日本災害の反省を基にした災害対策も格段に進化しているという。 このことに関しては、地震後に書かれた記事が詳しい。
しかし、後述するが、災害発生後20時間程度経過すると、バックアップ電源(電池)がなくなるためか、停電が回復するまで
全く通信が途絶えてしまうことも経験した。
得られた教訓としては「災害が発生したら、なるべく早く連絡をとる、またはネットからの情報収集は災害発生後の早い時期に行う」ということだ。
家内に今のうちに息子や実家、親戚知人などに連絡を取るように指示する。
車の中で、TVを見ながら、電話やメールなどをしているうちに、携帯電話やスマホの電源が減ってきているのに気がつき、
愛用の車載用のインバーターで充電を始める。シガーライターの端子に差せば150W程度の家電が使え、携帯電話やスマホの
充電が手軽に出来て便利だ。カー用品やホームセンターで3,000円程度で購入できる。今回の地震での停電中に最も重宝した
グッズの一つである。
5:00
ラジオやTVを聞きながら車の中で過ごしている内に夜が明けてきた。しばらくして我が家の前に車が停まり男が降りてきた。
札幌方面から釣りに来ていたが地震を知り急いで帰ろうと走っていたら、亀裂の入った道路を通過したためにパンクしたらしい。タイヤをチェックすると前輪が二個ともパンクしている。一個だけスペアタイヤに交換したが、うまく走れない。
近くの空き地に誘導して、2km先にある自動車修理工場の電話番号を教える。
すっかり明るくなった頃、もう一台同じような車がやってきた。幸いパンクは前輪の一つだけだったが、車をあげるジャッキやタイヤのボルトを外す工具を持っていないという。起き出してきた隣家の主人と協力してタイヤ交換し、無事走り出して行った。地震が起きた夜道はゆったりと、かつ急いで走らなければならない!
6:00
やっと家の中が見えるまでに明るくなってきたので、台所と私のPCのある部屋を覗いて見る。
酷い状態ではあるが、台所に関しては、前回(2003年)の時に比べれば、1/4程度の被害だと家内は言う。
前回の地震の後に、食器棚を買い換えた。当時使用していた食器棚はほとんどが観音開きのガラス戸の構造だったが、
買い換える時に、ドア式のガラス戸が出来るだけ少なく、引き出しの多い製品を購入した。
「中に何が入っているかわからない」と最初は不評だったが、使用しているうちに慣れた。
大半の引き出しは地震の揺れで開いていたが、中の皿などが外まで飛び出して割れたのは少なかった。
食器棚はほとんど引き出しのものを選ぶべし。
7:00 朝食
台所の片付けが比較的かんたんに終わったので、いつも通りの時間に朝食となった。
テーブルに並んだ料理を見てびっくり。いつもの私の朝食の定番「一汁一菜+納豆」とは大違い。
ホヤやホタテの刺身、イカの塩焼き、ハンバーグもある。家内に「これ何?」と聞くと、「停電で冷蔵庫や冷凍庫の食品が
溶け出しているので、これから一生懸命消費しないと、捨てるしかない」とのこと。
「これから焼き肉を作るけど食べますか?」と言う。隣の家は食べ盛りの男の子が二人もいるので、これから調理して届けるらしい。「どうせ捨てなきゃいけないのなら、今のうちに食べてもらう」
我が家は週一回の買い物で済ませるために、食品の「備蓄」をやっている。そのため、大型冷蔵庫の他に、専用の冷凍庫も
持っている。しかし、停電になれば大量の食品が溶けて廃棄するするしかなくなる。惜しかったのは、シチューや鍋、湯豆腐などに入れるために冷凍してあった牡蠣を2kgほど廃棄せざるを得なかったことだ。
我が家の調理はIH(電磁調理)+電子レンジである。停電になると全く煮炊きが出来なくなる。前回の地震の経験から、
カセットコンロを購入していたのが今回役に立った。
普段は冬場に食卓の上で鍋料理をする時しか登場の機会がないが、今日から大活躍か。
家内から早速の宿題が出る。「明日、町でカセットボンベを買えるだけ買ってきて」と、、、、、1日あたりの消費量はカセット2缶という。
大活躍のカセットコンロ
前回は断水しだった。今回は水道はOKだ。ときどき水が濁ったり、水圧が下がるが何とか水は出ている。
札幌の弟から電話が入り、お互いに情報を伝え合う。札幌も断水はないようだが、弟はマンション住まいで11階。
戸建ての家は水道がOKでも、マンションは停電だと揚水ポンプが停まり断水になってしまうという。
昼近くなって女性が運転する札幌ナンバーの車が我が家の駐車スペースに入ってきた。
隣町の擁護学校に子供を預けているが、未明の地震で子供たちがパニックになり、当直の職員だけでは対応できないので急遽招集がかかった。擁護学校への道路が一部通行止めになっているため、迂回しているうちに、道が分からなくなって迷ったと言う。地図を書いて説明するも、動揺しているためかなかなか頭に入らないようだ。同じことを3回繰り返しやっと分かったのか出発していった。
14:00
昼からあまりやることがない。後片付けをしても大きな余震が来れば無駄な作業になってしまう。
地震が来たときに咄嗟に体を捻ったせいか脇腹が痛い。湿布薬を貼る。
スマホを使ってはじめてラジオを聴く。電波のラジオに比べ音質が良いいのに驚く。しかし、
スマホの通信量を節約するためには、やはり電波のラジオ受信機が必要だ。家内に何かないかというと、一台のラジオを出してきた。
その昔、私がゴルフコンペの参加賞でもらってきたものらしい。先日、家内が押し入れの中の整理で捨てようとしたが、色とデザインがカワイイので、小学生の孫娘に進呈しようかと取っておいたのだと言う。「今時の子供はラジオなど聴かないだろう」などと言いながら、電池を入れるとちゃんと受信できたので、停電が終わるまで愛用することにした。
16:00
暗くなる前にと、いつもよりは早い16:30に夕食をとる。
隣家の屋根越しに震源地の方向を眺めると、夕焼けが綺麗だ。気のせいか妖しい美しさだ。
「内陸性の地震は余震が激しく、熊本地震のように一週間後にさらに震度が大きな余震が来る」と繰り返しラジオが言っている。
前回の地震での停電時にもっと電池が長持ちする海中電灯がないかと探していた。その後、LEDライトが普及し、連続点灯で50~70時間可能な東芝の製品が手に入るようになった。夕食後、これをテーブルの上に天井を向けて立て、照明の代わりにした。
新聞を読むには照度が足りないけれど、部屋の照明としてはほの暗いホテルのバーにいるような心地で悪くはない。
余震が時々やって来る。ラジオを聴きながら、コップ酒を2杯呑み、21:30に就寝する。長い1日であった。
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PC老人の震災日記(2)につづく