9月8日 8:30
2003年の震災時には、ガソリンスタンドの営業開始の遅れとガソリン在庫の不足で、ガソリンを入れるのに苦労した。しかし、東日本大震災で、岩手にいた友人が朝4時にガススタンドの長い車列に並び、10L限定の給油を受けるのに3時間もかかったという話と比べたら大したことではない。
そんなこともあって、それ以来、満タンの1/2になったら必ず給油することを実行してきた。
車がないと生活が成り立たない土地に生きる者の自衛策である。
前述のように、今度の地震で車を「発電機」代わりに使用してきて、これからも何日続くか分からない。
メーターを見ると、アイドリングでの使用が大半なのでそんなにガソリンは消費していないが、満タンの1/2を切りそうになっている。
いつも入れているスタンドに行く。店は開いているようだ。親父が出てきて、「すみません、うちは緊急車両向けスタンドに指定されているので給油できません」と言う。町内の残りの3っのスタンドを回ったが、いずれもロープが張られ閉店していた。
先日、昼すぎについに携帯電話が不通となった。インターネットも友人に午後3時頃メールを送った直後に通信が途絶えた。
ガソリンを入れられなかったこともあるが、携帯電話とネットの通信が途絶えたことで、地震後はじめて不安な気持ちになった。LINEで繋がっていないと生きられない若者。しかし、双方向通信がないと生きられない老人の自分も同じだと認識した。
圏外の表示が悲しいガラケーとスマホ
ガソリンスタンドから帰る途中の車の中で、ラジオが「政府が今朝午前4時に、北海道全体の約99%で停電が復旧した」ことを発表したと報じていた。
「やれやれだな」と思って家に帰り家内に訊くと、まだ停電中だという。
13:00
カップラーメンとちまきの昼食。ちまきは冷凍庫に最後まで残ったものの1つ。家内によれば、解凍後でも7日以上は保つ、こんな時にはちまきは貴重な食べ物という。
14:00過ぎ、ラジオを訊いていると、「北海道の停電戸数は一万戸を切った」と政府が発表したという。
我が家はいまだに停電している。何故未だ停電している0.3%に含まれるのか?
今回、北海道全域停電(ブラックアウト)の原因となった厚真火力発電所は、我が家からその煙突が間近に見える至近距離にある。
この発電所は当初むかわ町に建設予定だったが、町が公害発生を理由に反対、その結果隣町の厚真町が誘致したという経緯があるという。
「北電からしっぺ返しを受けているのかも」「その後、町村合併で厚真町に一緒になろうと言ったら肘鉄を食らったからなぁ」家内との会話である。
15:00
町が開設した避難所をのぞきに行こうと、車に乗ろうと玄関を出る。ふと携帯電話を見るとさっきまで
出ていた「圏外」の赤い表示がかわり、アンテナの棒が立っているでゃないか!?
もう一度家の中に入ってみると、また「圏外」に変わる。
電波が弱い初期の頃の携帯電話を思い出した。試しに、携帯が不通になっていた時間にかかってきていた
何人かの友人に電話をしてみた。携帯電話が復帰した!!
車に乗りスマホを立ち上げると、ネットも繋がった。どうやら、停電が全道的に復旧し、通信網も元に戻ったようだ。
車で10分、避難所のあるむかわ町道の駅「四季の館」に着く。
ホテル、温泉、プールを備えたスポーツジム、図書館、イベントホール、レストラン、売店などを
備えた北海道でも最も豪華な道の駅である。道路一本はさんで町役場があるが、庁舎前の駐車場が
自衛隊の車両で埋め尽くされている。周辺の空き地は露営用のテントが多数張られていた。
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車列とテントの数からかなりの大部隊と思われる。給水、炊き出し、入浴補助を行っていた。
避難所の受付付近をウロチョロしていたら、「もう入浴出来ますよ」と声をかけられた。
役場前の給水所も閑散としていて、多数の自衛隊員はかなり手持ち無沙汰の様子。
家へ帰ろうと駐車場を歩いていたら、ひとりのおばあさんが水の入った入れ物を重そうに運んで軽自動車に積み込もうとしていた。手伝ってあげると「やっと家から運転してきて給水場所に入ろうとしたら、自衛隊の車が邪魔で入れない。前の時は家まで給水に来てくれたのに」
思い出した。2003年の時は我が家も断水し、自衛隊の給水車が日に2回も巡回して給水してくれた。
この地震が発生後、安倍さんは自衛隊の支援派遣を4万人規模で「空振りを恐れないプッシュ型で行う」
と宣言した。被害を受けた自治体とは協議せず、ニーズに合致しなくても(空振りを厭わず)官邸の判断で早期支援を優先するのは良いが、必要以上に大部隊が来てしまったのではないのか。
暮れかかった薄暗い居間でモソモソと夕食をとっていたら、突然灯りが点った。
「我が家の居間ってこんなに明るかったっけ?」と叫んで、家内に笑われた。
63時間ぶりに電気が復旧した。
PC老人の震災日記(4)に続く