ロシアの旅 (その-1)   2003/10  石塚 洋
9月10日から16日まで、思いがけずロシアの二都を訪問する事が出来た。
1989年から93年、小生がTEM(Toshiba Electronics Malaysia)に赴任していた頃、マレーシア駐在の昭和15年生まれ組(辰年)が「K/Lドラゴン会」を結成し何かにつけて集まっていた。
小生は巳年だけれど、「あんたは9/10は辰年だから」と仲間に入れてもらった。
今では「K/Lドラゴン会」メンバーも殆ど帰国したので「日本ドラゴン会」と名を変えて、定期的に国内外の旅行会、ゴルフをしている。

会員は30数名で、常連は15名位。メンバーの一人に一昨年ドイツ大使からロシアの特命全権大使に就任した野村一成氏がいる。
今年の新年会の席で「野村さんが駐在中にロシアに行こう」という事になり、決行された。
夫人同伴4組、夫のみ6人、計14人の編隊となった。

西洋史など全く勉強した事の無い小生だが、何故かロシアには前々から興味があったし、今年は叉、ロシア第2の都市サンクトペテルブルグ(レニングラード)が建都300周年という事で訪問するには絶好のチャンスと思った。           
「ロシアの旅は何かと検査が厳しいから大変ですよ」と、もう10年も前に行って来た家内から聞いていたが、その時は野村大使の御利益をお願いしようと変な期待をも持った。

我が愛する「読売巨人軍」の優勝も絶望的になっていたので、日本を離れるのは丁度良いとも考えた。
「星野阪神タイガーズ」の優勝は帰国した4日後の9月20日に決まった。因みに野村さんは典型的な虎キチだった。
おめでとう。
東芝のある後輩から、「阪神優勝記念タオル」が届いた。何んと18年振りに戴いた。

ロシアの旅の出発前、パスポートは勿論、ビザを取得しなければならない。
これには最低2週間、15,000円かかる。今回の旅行会社は大使のお奨めで、「ロシア専門;(株)プロコエアサービス」であったので割合要領よくやって頂いた。

9/10;12:00発「SU576便」(アエロフロート ロシア航空)で成田を発って、モスクワに向った。
昔のアエロフロートの話を聞いていたので少々心配であったが、乗って見ると「ボーイング767」で、機体も新しい感じがした。
飛行可能距離は10,600km(成田―モスクワ間;7513km)と知り安心した。
通常時差は6時間であるが、サマータイム期間なのでたったの5時間だ。

12:25(ロシア時間 7:25AM)離陸、快晴であった。機内のアナウンスはロシア語、英語、日本語でしてくれた。
ロシア美人のたどたどしい日本語のアナウンスには笑いも誘ったが感動した。
日本人スタッフは一人も乗っていない証拠だ。コストセイビングの努力が伺える。
ロシア時間16:00、モスクワ上空に近付いた。意外と緑が多く、モスクワ河がゆったりと流れている。

16:55、モスクワ第2空港に着陸。空港は薄暗く、古い感じがした。イミグレーションは思ったよりスムース
だったが荷物が中々出て来ない。
恐れ多くも大使夫人が出迎えてくれたのには有り難く、ほっとした。
40分位、コンベアの前で待って、漸く荷物をピックアップした。トランクも開けられずに済んだ。
18:20、若いポーターが一人で一台のリヤカーに11人分のトランクを積み上げ
バスへ。丈夫なトランクを持って来て良かったと思った。
この間少々時間があったので、100USドルをルーブルに換えた。3,000ルーブルだった。
1ルーブルは約3.7円となる。4円だなとインプットした。

バスで国内線 第1空港へ、20分位走った。
モスクワ発20:25サンクトペテルブルグ行;FV158便(ブルコボ航空)は1時間の遅れとの知らせ、
待合室はビジネスマン、家族連れでごった返し座るところも無い。2時間の待ちぼうけとなった。
結局20:50出発、21:45サンクトペテルブルグ空港に無事着いた。

バスは海を思わせるようなネヴァ河に沿って走り、途中「TOSHIBA」のネオンと満月が暗闇に冴えた。
22:15 「コリンシアネフスキー ホテル」に漸くたどり着いた。
やれやれ成田を発って15時間、日本時間は真夜中3時だ。
我が部屋は東京ガスOB岩崎氏と一緒、彼は歩いてアメリカ大陸を横断し、本まで出版した豪傑だ。
他に3人、我が部屋に寄ってきて1時ごろまで日本から持参の酒、ウイスキーを飲んだ。
明日からは毎晩ウオッカとなろう。
シャワーを浴びボウーとしてベッドへ。

〈2日目〉
専用バスで9:00、ホテルを出発、快晴とまでは行かないが良い天気だ。気温は朝13℃、日中は22℃位で寒くない。
真冬支度で来た小生は上着を脱いだ。我々が来る2週間前は雨ばかりだったらしい。

バスの運転手さんはニコライさん、ガイドさんはヴィクトリアさん、二人とも高貴なお方のように思える。
街を囲むように貫流するネヴァ河添えの船着場でバスを降りた。エルミタージュ美術館近くで、対岸に
「ペトロパヴロフスク要塞」が見える。フィンランド湾をフェリーでヒョウトル宮殿へ。

写真-1:ピョートル宮殿にて
写真-2 観光フェリーと遠くに要塞を望む
サンクトペテルブルグは1703年から約200年間に亘って、ロシア帝国の首都の座を占めた。
今年が建都300周年で、ロシアサミットは今年ここで行なわれた。
ピョートル大帝は「ヨーロッパへの窓」を開こうとスウエーデンとの北方戦争(1700年〜1721年)によって、
この地を取り戻した。
そして海港の建設をはじめ、1703年に「ペトロバヴロフスク要塞」を建設したのがこの都市の起源となった。
1712年、ピョートル大帝は同時代の専制君主であったのルイ14世のベルサイユ宮殿を意識して造ったという。
宮殿内には今でも147個の噴水がある。ロシアの水力工学技師であったワシーリー.ツヴォルコフは20km以上も離れた
ロブシンスキー丘からポンプも使わず水を引くことに成功し、現在もその水は涸れていない。
こんな北国に凄いものを造ったものだとほとほと感心した。
〈3日目〉
 今日も良い天気だ。“皇帝の村”と称されたプーシキン市にある「エカテリーナ宮殿」を観た。
ドイツ貴族の娘であったエカテリーナ2世は1745年にロシア皇帝ピョートル3世に嫁ぎ、後無能だった夫を廃して
自らロシア皇帝となった女傑。
1756年に完成したこの宮殿は、それを取り囲む鉄製の枠もが金箔で仕上げられている。
今年の「ロシアサミット」に復元を間に合わせたという「琥珀の間」(この琥珀の間の琥珀は第二次世界大戦中、ヒットラーによって
剥がされ持ち出されたという。今、何処に隠されているのかはナゾのようだ。)は圧巻であった。
    写真-3 エカテリーナ宮殿                   写真-4 エカテリーナ宮殿 琥珀の間



小生は全くの不勉強であったが、1782年日本の鎖国時代に漂流してロシアに流れ着いた回米船の日本人船頭「大黒屋光太夫」が
帰国を願ってエカテリーナ2世に謁見したのもこの宮殿と言われる。
仲間から聞いたが、この話は井上靖が「おろしゃ国酔夢譚」と題する小説を書いているとの事です。御一読を。

12:10、バスで昼食レストランへ。
13:30、再びバスで往路と同じ道を戻り、サンクトペテルブルグの「エルミタージュ国立美術館」へ。
ご存知同美術館はロシアが世界に誇る超一流の美術館で部屋数;1,050、部屋の総面積;46,000u、コレクション300万点を超え、
大英博物館、ルーブル美術館、メトロポリタン美術館を凌ぐスケールで、見学には最低3日は必要と言われる中を、2Fと3Fを中心に
半日で廻った。

やはり圧巻は3Fの我々にも身近な巨匠たち、モネ、ミレー、ルノアール、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、マチス、ピカソ等々の絵画で、
ガラスや防御網も無いまま、壁に雑然と吊り下げて陳列されており、本物を真近かに鑑賞できたのには大感激であった。

17:00を廻っていた。美術館を出て、バスで「地の上の教会」を見て、夕食。
サンクトペテルブルグ最後の夜、ビール、ワイン、ウオッカで乾杯。
写真-5 ネヴァ河とエルミタージュ美術館
写真-6 美術館内の階段
この階段でも貴重な美術品が鑑賞できます
ロシアの旅(その-2)へ続く