英勝寺の山腹にある金比羅宮前にて
本日9月24日は、遅れに遅れたすがすがしい秋到来の初日である。9月中旬を過ぎても、記録的な猛暑の日々であったが故か、本日の秋固有の高い青空と若干の冷気を含んだ空気の朝、感激ひとしお。山八集合の通常定刻10時前には鎌倉駅西口の時計台下に集合完了。
本日の散策メンバーは、石塚、小野山、進藤、杉岡、内藤、浪本、大川、広瀬、柏木(報告者)の9名。
先ずは、散策出発に先立ち、恒例の「いざ、スタート!」の集合写真を時計台の下でパチリ。
そして散策スタート。
鎌倉駅時計台の下に集合
本日の山八は、諸処を点々と踏破し足腰を鍛える「散策」というよりは、は少々趣を変え、日々進む知力と感覚の劣化に抗い「教養」と「感性」を再覚醒させようとする試みの一環。
目指すは英勝寺、英勝寺は鎌倉唯一の尼寺で、徳川幕府から特別の扱いを受けてきた格式の高い尼寺で、四季の花々と竹林を売りにしている美しいお寺とか、そして本日のメインテーマは彼岸花である。
鎌倉駅西口から市役所通りを市役所方向に数分歩いたところで右折、今小路に入る。今小路は横須賀線を挟んで線路沿いを小町通りと平行に走る道、道幅は小町通りと同じようなものだが、雰囲気は全く異なり、人気も少ない静かな住宅街の雰囲気。
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今小路を進む
ものの10分程度今小路を辿り、住宅が途切れるあたりになると、左手にこんもりとしたお寺の境内らしき処。
「この辺り初めてではない以前足を踏み入れたことがあるような雰囲気」と。デジャブか?!
道端の看板から「寿福寺」とある(帰宅後、三八HPで調べるに、2019/8/16の「第45回山八散策の鏑木清方記念美術館と寿福寺めぐり」では寿福寺そのものを訪れており、さらに、2017/12/11の「第31回 北鎌倉から鎌倉まで 鎌倉古道を歩く」では寿福寺の踏切を渡り英勝寺の前を通過している)
やっぱり来たことがあったんだ!
ちょっと気になりながらも、歩を進め人家を二三軒過ぎると直ちに「英勝寺」の標識が。
本日の目標地である(近い! 駅からぶらぶら歩いてほんの10分だ)。
英勝寺惣門前にて
標識の向こう側には古色蒼然とした門構えを真ん中にして両側に明るい黄色の土塀が左右に広がっているものの、我々が歩いてきた道路との間には「足を踏み入れるな!」とばかりに柵が配置され、一面に砂利が敷き詰められ、古色蒼然とした門構えには近づきがたい雰囲気、英勝寺の総門である。
寺の「門」には、二種類の「惣門」と「山門」とがあり、前者は世俗的な門、後者は霊的な門に当たるとか。
その空間の傍らの「太田道灌邸旧跡」なる石碑によれば、この地にはかつて太田道灌の屋敷があり、時を経て、太田道灌の末裔女性が、家康の正妻となり、家康の死後には出家して尼さんになった。
家光がこの地を彼女に送り英勝寺が建立され、、、等々の経緯から、徳川幕府の厚い庇護の下、代々水戸藩のお姫様が住職に就いてきたとか。
太田道灌の屋敷跡を示す碑
総門前での集合写真パチリの後、ものの一二分で今度は当世風の小洒落たミーハーまがいの白い鉄柵の門に到着、なんとこれが「英勝寺」の通用門であると。門扉の真ん中には花のデザインが配置され、寺の門としては
場違いの少女趣味の極みかと違和感を覚えた。
少女趣味のデザインかと見間違った英勝寺の通用門(見学入り口)
しかし、帰宅後ネットで調べ写真をじっくり眺めるとなんと、「徳川家の家紋」三葉葵と「太田家の家紋」桔梗紋を重ねて配置したデザインではないか、我が身の浅学無知、恥じ入る次第。
なおかつ、この門の鉄柵には、花の寺を訪れるひとたちのために、現在「旬を迎えた花の名前」を記した「花だより」なる掲示板があった。
「花だより」には萩の札のみ、彼岸花はなし
通用門をくぐり小径の階段を上ると受付、拝観料300円を支払い、いざ寺院の庭へ。足下に、そして小径の両壁には小さな花の草花が咲き乱れ、さすがは尼さんのお寺故か、と思わせる風情。
そして、そこには「花だより」にあった萩の花が咲いていた。
秋の七草 萩
本日の目してきたところは、時を得て満開の彼岸花。しかし、この9月下旬お彼岸直前まで連日続いた猛暑日のせいか、彼岸花も花開くタイミングを計りかねた模様。あちらこちらに花開いたもの、花開く寸前のもの、まだまだ蕾の固いままのもの、等々。
期待していた真っ赤な彼岸花の絨毯は無理筋、しかし、絨毯ではなく所々点々と艶やかに咲き誇る彼岸花、これも風情の一つかと、庫裡の前で庭園散策スタートの集合写真。
何とか出会えた彼岸花と*
ふと目をやると「白い彼岸花が!!」
白い彼岸花
群生する赤い花は見られなかったが、、珍しい白い彼岸花を拝めたのも本日の成果というべきか。
視線を少し上げると、彼岸花だけが花ではないと、境内小径の両側にはフヨウの花も咲き乱れる。
さすが「花の英勝寺!」の感。
暑い季節が好きな芙蓉がまだ咲き誇っていた
小径のむこうは鬱蒼としたそれこそ昼でも暗そうな竹林が控えている。
竹林も英勝寺の売りの一つ、小径にかかる小さな木の門をくぐりいざ竹林の領域に足を踏み入れる。
竹林を行く
静けさが漂う
径10cmを超えるような孟宗竹が道の両側に林立する小径、竹林の外から眺めると薄暗い不気味な空間を感じさせるが、その竹林の中に入ればある種の静けさが漂い心に癒やしをもたらす雰囲気がある。
斯様な竹林、嘗て、山八散策で報国寺の庭園を訪れた際以来か。
竹林の小径をさらに辿ると右手に鎌倉地域に固有の砂岩の壁が現れやがて小径はそのまま竹林の出口に。
竹林を出て砂岩の壁を右手に小径をさらに進むと、行く手に塀が現れ、英勝寺に隣接するお隣さんとの境界に。
その境界に接する砂岩の壁には大きな「やぐら」が穿たれている。
やぐらの入り口には内部を守るようにガラス戸様のものが配置され、その上部に「金比羅宮」と記した表札風の銘板が。他に来歴等々何の表記も無く、それ故か、一同も特段の関心を払うことなく、集合写真(冒頭の写真)
のみにて金比羅宮を引き払う。
金比羅宮から境内の中心部を目指して歩を進めるに、眼前木立の間に比較的大きな建物の影が。高さは大凡2階建て程度、とくに窓のようなモノもなく単なる壁のみの倉庫のような風情。しかし、よく目をこらすと軒下の梁には丁寧な彫り物が、目をこらすと十二支である。ただものではない、何か然るべき建物かと建て屋の正面にまわりこんで眺めると、何とこれが英勝寺本丸の仏殿である。
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仏殿 仏殿の内部
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十二支の彫り物
しかし、通常の神社仏閣では当たり前のように考慮配置されている賽銭箱などの拝礼の場を想起させるものはまったく無く、正面に仏殿の内部を覗くような小窓が配置されているのみの奇妙な仏殿である(格式の高さ故に、一般大衆の礼拝なんぞ想定されていなかったのかも)。
のぞき趣味ではないが止むを得ず小窓から仏殿の内部を覗くに、さすが尼さんのお寺か、その内部は、床は石畳、読経等のお勤めのためかキレイな椅子が配置され、行き届いた清掃、正面の金ぴかの仏様もスッキリと立派、天井にも綺麗な絵が描かれ・・・等々、格式の高さと(綺麗好きな)尼さんのお寺故かと、納得させられるところ多々あり。
仏殿正面(南向き)の右手前方に小振りだが造りの立派な門が立っている、「唐門」である。英勝寺の開祖である英勝院が祀られている祠堂への入り口であるとのこと。唐門をくぐり抜け急な石段を登ると、ガラス戸付きトタン張りの作業小屋のような建物が正面に。
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祠堂門(唐門) 鞘堂(内部に祠堂がある)
「何でこんな無粋なものをもっともらしく見せるのだ」と少々腹立たしい思いでガラス戸越しに内部を覗いてみるに、小屋の内部に、何だか大きな扉が配置された建物様のもっともらしいものが見えはするものの、その正体は判らないまま。
帰宅後、ネットで探るに、英勝寺開祖である英勝院を祀っている祠堂で、家康を祀る日光東照宮にも似せた絢爛豪華な造り、これこそ英勝寺の肝とか。「作業小屋」は、風雨から祠堂を守るための策だったのだ。
大事な宝を守らねばの意図は理解されるものの、それにしても無粋の極み、恥じ入るばかりなり。
豪華絢爛の彩色を誇る祠堂
祠堂参拝を済ませ石段を下る途中、石段の向こうにがっしりとした大きな建て屋が目に入る、山門である。一般的に寺院の建て屋の屋根には反りがありある種の柔らかさを醸し出しているが、英勝寺の建て屋は殆ど直線で構成されており、武家風の力強さを感じさせているのが特徴とか。その力強さを感じさせる山門を背景に集合写真。
山門は関東大震災で倒壊、その直後に、山門の部材の散逸を恐れた地本の篤志家の手で鎌倉の別の場所に再建されていたものを、2011/5/16、ここに、まさに本来の場所に移築された、という数奇な運命を辿ったとか。
山門となると、門を通過する寸前、左右の恐ろしい形相の仁王さまお目に掛からねば・・・が普通だが、この山門には、そのスペースは残されているものの、ご本尊そのものはいらっしゃらない。
これもこの山門の特徴なのか(知る由もなく)?
本日の山八会、、石塚リーダの心は「英勝寺には重要文化財が5件もある、その制覇を」にあることは、出発時からの彼のもろもろ発言から、一同了解済み。すでに「仏殿」、「唐門」、 「祠堂」、「山門」と4件の重要文化財は踏破。残るは「鐘楼」1件のみ。
山門を出て左に曲がるとその先は総門に至るが、総門の手前左手にちょっと変わった形の小振りの建造物が。
目指す本日五番目のターゲットである重要文化財の「鐘楼」である。
建造物の屋根や軒の張り出しなどは通常の寺院の建造物の風情だが、建物の下部はスカートを佩いた様な板張りで囲まれた若干異様な形。
鐘楼の前で、彼岸花と一緒に記念写真
「袴腰付鐘楼」と称され格式の高い寺にのみ許される様式で、鎌倉では英勝寺のみとのこと。
「鐘楼」と称するからには「釣り鐘があるはず、どんな釣り鐘か、釣り鐘が見えない」と若干の好奇心も湧いてきたが、そこは高齢者、好奇心は直ちに萎えてしまい、鐘楼の周辺をしばしウロウロしただけで、ある種の満足感。
(石塚氏の言う五大重症文化財はすべて踏破?したぜ)
これを以て英勝寺の散策終了!ともと来た通用口へ戻る。
英勝寺に足を踏み入れた瞬間、期待していた彼岸花の真っ赤な絨毯の夢は消え去り若干気落ちしたものの、赤く小さなつぼみ、花びらが伸び始めようとするもの、大きく艶やかに開いているもの、これらが散在点々としているのも風情、さらに珍しい白色の彼岸花も見られ、何も満開の真っ赤な絨毯ばかりが能ではないと思い直して英勝寺を後にする。
ところで英勝寺、多様にして美しい広い境内を誇っているものの、とにかくトイレがない(尼寺の故なのか?)!通用門を出て住宅街の道路で爺さんが立ちションというわけにも行かず、(そこは石塚リーダの事前調査で)トイレが配置されている近くの浄光明寺に急ぐことに。
英勝寺前の横須賀線の寿福寺踏切を渡り、急ぎ足で5分前後、無事トイレを得て安堵の者、数名。
浄光明寺は、十六夜日記の作者が云々というこれまた由緒あるお寺の模様だが、英勝寺ほどの「売り」に欠ける故か、山八以外に人影もなく、我々山八も(トイレへの謝意を抱きながら)早々に退散。
じいさん達のトイレ休憩のために立ち寄らせてもらった淨光明寺の境内
トイレを済ませ、、いざランチへ。
京の都に倣ってか鎌倉も(京の都に倣ってか)道路・路地にいろいろ名前が付けられている。本日のランチは、計画書では小町通りの海鮮ベースの「鎌倉食堂」。
具体的な店の所在なんぞは判らず、石塚リーダに従って行くのみ。帰宅後、辿ったルートを改めて調べてみるに、「浄光明寺」 → 窟小路 → 横大路 → 小町通り → 若宮通り → 「鎌倉食堂」が大凡のルートだった。
「鎌倉食堂」への途中、横大路辺りにさしかかったあたり、静かな住宅街の道だが、初めてとは思えない、
何時か、来たことがあるようなないような妙な気分に・・・。そこに、山八の誰かが「鏑木清方云々・・」と。その一声で、一瞬、「2019/8/16 第45回山八散策の鏑木清方記念美術館と寿福寺めぐり」の折、この辺りをほっつき歩いた記憶が鮮明に甦り、これまた再度デジャブを経験。
小町通りの鎌倉の食堂とくれば小洒落た店構えを想定していたが、現実は場末の食堂風情の構えだ。
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小町通の賑わい 昼食会場の「鎌倉海鮮や」
リーダが汗を流しながら探したあてた店ゆえ、それなりのことはあるだろうと(とにかく狭い店故)一同身を寄せ合うようにして席を取り、注文した料理を待ちながら恒例の生ビール乾杯。
ビールで乾杯!
牡蠣フライ定食
注文はみな同じの「牡蠣フライ定食」 結論として、これがなかなか美味。
一同舌鼓の後、長居は無用と、次に控えるスイーツアワーのために、店の若い女性にケーキとお茶を楽しめる店の近傍有無を尋ね、然るべき候補の紹介を得て店を出る。
小町通りを横切り横須賀線沿いの(これぞ鎌倉かと思わせる)綺麗な花の咲き乱れる小径を辿り、次なる楽しみへと辿り着いたのがフランス語で”Les Anges”(天使達)と銘打った(若い女性が集うような)小洒落た店。
80歳も過ぎた爺ちゃん達が足を踏み入れるのも間違いのような店、案の定、「席が一杯」と体よく断られ、さてさてどうしたものかと。
そこは鎌倉慣れしてきている山八、直ちに対応策。これまで何度も足を運んできた御成通の”チョコレートバンク”へ、しかし、ここも、"本日休業”とのことで残念ながら敗退、そして次なるは・・・と、市役所通りのスターバックスへ。
斯くて、コーヒとケーキそしてくつろげる椅子の確保に成功。店内ベランダ席で快適な秋風に吹かれながらとりとめもない長々と雑談を楽しんだ後、第96回山八会を終了、次回を約して散会。
なお、本日の散策歩数は、4,000歩前後(報告者の歩数計による推計)。
なお、本稿纏めるに当たり、石塚リーダに写真の数々支援をいただきました、謝意を表します。
おわり